明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



三島由紀夫へオマージュ展椿説男の死は、複数展示するものはあるものの、タイトルとしては以上となる予定である。『潮騒』『金閣寺』『憂國』『F104』『神風連の乱』『エレベーターボウイ』『竜に殺される王子』『神輿』『黒蜥蜴』『昭和残侠伝唐獅子牡丹』『日輪は赫奕(かくやく)と昇った』『汚穢屋』『椿説弓張月』『ボクサー』『愛の処刑』『からっ風野郎』 三島は好きな人物に憧れ続けた人である。私が彼になりたい。その心情を察し、制作した作品である。その点に関しては、初の長編書き下ろし、仮面の告白ですでに表明し、その起筆日に自決した。私の作品は彼になりたい願望を、幼い時から最後まで持ち続けた人物であることを知らなければ、理解され難いであろうけれど、作者を作品世界に登場させる作家シリーズの中で、最も、作者本人を登場させる意味があった。これ以外に三島でやりたいことは一つもなく、このまま行けば今月中に完結させることができそうである。


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午前中に洗濯を済ませ、窓を開けたまま制作。世間も休みである。こんな日は罪悪感もなく、清々しく進む。今更罪悪感も何もないものだし、好き勝手にやっているようで、そこはかとない何物かは常にある。小学生の時、始業のチャイムが鳴っているのに本から目が離せず。あんな感じが常にある。度々くり返し、図書室出禁になった。チャイムが鳴っているのに縛られ苦痛にうめく三島を作る私。せめて天気くらい良い方がいい。 それにしても、三島の男の死を展示をするタイミングでようやく太宰が完成に向かう。たまたまだが妙な感じである。三島の男の死開催に、三島に面と向かって嫌いだといわれ心中死した太宰が彩りを添えることになった。今回は人形展示は4体の予定だが、いずれも未展示の作品にすることにした。 未着色の三島をシュミレーションとして、弓張月の背景に合成し、作業を進める。私の作風の変化を予見していたかのようなデジタルな時代である。念写の能力がないのに比喩でなく念写が可能になったのは何よりである。私の頭に浮かんだのはこれだったんだ。ということができる。子供の頃、頭に浮かんだイメージは何処ヘ消えてしまうのか、と本当に悩んだものである。 三島にぺーパーをかけ、仕上げ着彩し、縄で縛り撮影すれば椿説弓張月も完成となる。そういえば、太宰も展示するのだから、写らないところは作らないというわけにはいかない。完成を急ぐことにする。

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太宰は足元はまだ形にはなっていないが、一カット目はとりあえず足元は必要がない。足元以外の仕上げを進める。後ろ手に縛られ苦悶の表情の三島由紀夫。私はいったい何をやっている?というときにこそ、溢れ出る快感物質。知に侵されぬ肉の持ち主が苦しみもがく姿を幼い頃から夢見る三島。王子様が竜にかみ砕かれ死ぬ絵本をくり返し読むが、そのたび生き返るところが気に食わない。その部分を手で隠して読む幼い三島由紀夫。根っからである。私が彼でありたい三島の願い通り、竜にかみ砕かれる三島も作った。王子の着衣も三島の描写通りにした。怪獣など作ったのは小学生以来であったが、それを屋上で青空背景に撮影しているとき、私は一体何をしている? 実在した人物を制作する場合、作家の想像力にかこつけ、それに乗っかり、思わぬ場面を作ることができる面白さがあり、そういう意味では江戸川乱歩と三島由紀夫は私にとって双璧であろう。ただし、三島はその快楽を提供してくれるのは、豊富な死の場面に限る。三島の文学世界をただ絵にすることなど考えもせず、男の死というモチーフしか思い浮かばない。 それを思うと、私がそのモチーフの殆どを選び制作した初の書き下ろし長編仮面の告白の起筆日、11月25日を最後の日に選んだ三島。自衛隊員の怒号も三島の悲劇の死の演出の一つだと私は思う。仮に隊員の中に一人でも先生私もご一緒します!なんて隊員がいたなら、エンディングが台無しになっていただろう。バルコニーの上から、そんな男を見つけたら、どうすれば良いか。そんなおっちょこちょい対策など当然三島は考えていただろう。見なかったことにして、演説を早く切り上げ、最後の場面を急げば良いだけの話である。実際、予定よりだいぶ早めに切り上げている。

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花見  


友人二人と恒例の花見。満開にはまだ遠かったが、コロナに対抗してのアルコール消毒が主目的である。これで例によって、深く深呼吸し、5月7日から3週間の個展に向けて深く静かに潜航に入る。 9日にはトークショー、オープニングレセプションも決まった。先のことであるからと今の段階ではそれどころではないが、一昨年、東雅夫さんにお相手頂きトークショーなるものを始めてやったが、控室で、観客の方々を路傍の石と思い込むという作戦で挑んだが、先頭の方が目の前数十センチという有様で、ドアを開けたとたんこのセコい作戦は砕け散った。 捕らわれ縄に巻かれる予定の三島は展示する訳でもなく、一カットだけのため作っており、写る所しか作っていないので、今日の天気でほとんど乾いていた。 備忘として書いてみると、来週中に、この三島の着彩を済ませ撮影、太宰の仕上げに入り、出来れば着彩までは済ませたい。その間も北斎の仕上げを進め、来月できるだけ早く、画室と想定している場所の撮影。最後に芭蕉の身体の制作。写真作品としてはオーソドックスな日本画風に背景なしで、せいぜい芭蕉の木、場合によっては古池を配すか?割腹中の三島は完成間近で首を切断、先に完成させる弓張月の三島に使用中。着衣の場合は首を引っこ抜き、他の身体に流用できるが、裸の場合それが出来ずに仕方なく切り取り使用する。それというのも割腹の三島の写真作品としての構想に迷い、先に弓張月に首が回ってしまったという訳である。上手く行くかは判らないが、三島の最後のカットは愛の処刑の割腹する体育教師になるかもしれない。

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三島の弓張月は、ト書きに雪が降っていると書かれていたことが発覚。昔読んだ記憶が正しかった。先日までそうだと思っていたし、昨日打ち上げたばかりの満月をひきづり降ろした。何しろ月光の影響はどこにも及んでいないので、どうということもない。降る雪は最後にまた、円朝の蝋燭や人魂の火と同じく筆で描きたい。『三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜』の監督が、死の呪縛から彼を解き放ち、生きている三島を見ることが今回の映画のテーマでした」と答えている。私の場合は死の呪縛で生き生きしている三島が良いのだが。昔の侍にはそんな人間がいくらでも居たはずである。70年にそれを見せられた衝撃であった。 私は映画からっ風野郎のチンピラヤクザと黒蜥蜴の剥製役を見たせいで呆れて三島を読むのが遅れたが、本日もからっ風野郎を観て、号泣したいのをいつも我慢しているとメモに残した三島を改めて愛おしく思うのであった。

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三島の顔は左右非対称である。記憶違いであったら申し訳ないが、本人が便所のスリッパだか下駄のようといっていた。しかし多少曲がった顔、特に顎のせいで、常に歯を食いしばっているような、意を決しているようなニュアンスが醸し出されている。そんなことを考えながら縄で縛られている三島を制作している。作りながら、縛る縄はリアルな麻縄ではなく、ちょっと芝居がかった、太めの真っ白な縄が良いかな、と思う。現場には白縫姫と数人の腰元しかいない訳だが、それでもただグルグル巻きではなく、やはり芝居がかった、お白洲の罪人のような縛り方で、主君を売った裏切り者感を出したい気もする。何しろ私の眉間にレンズを当てる念写なのであるから、あくまで私がルールブックである。 上手い嘘を付くにはホントを混ぜるのがコツである。幼稚園児の私が、台風の日に佃の渡し船の絵を描いていて、母が止めるのも聞かず、マンホールの蓋の東京都のマークを確認しに行ったのも、煙突の東京都のマークはリアルにしたかったからだろう。そういう意味では、三島ご自慢の腹筋が、その顔同様左右非対象のところはちゃんとしたい。そしてある誰かがそれに気付き、こいついい加減なことばっかりやっているようで、妙なところは見ていやがる。なんて感心しているところを想像し、一人ニヤける訳である。

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椿説弓張月の三島由紀夫、背景は最後に雪を降らせるだけになった。ようやく縄で縛られ、白縫姫の命を受けた腰元達に竹釘打たれて苦しみ呻く武藤太を作ることにする。試しに三島の表情に鉛筆で歌舞伎調化粧してみる。そして不動明王由来で月と日を表しているそうだが、片目が寄り目、片目が普通に真ん中の見得。三島は細江英公の薔薇刑の撮影時、いくらでも瞬きしないで耐えられる、という特技を発揮した。それは苦痛に耐えられる特技であって、これは訓練なしにはできないだろう。たった1カットのためであるし、これを展示する予定もないので、例によって写る所しか作らない。 都営地下鉄の表紙を担当していた時、私は九代目市川團十郎を提案した。歌舞伎座の改修が決まっていたし、当時インフルエンザが流行っていたことも理由の一つであった。江戸時代から團十郎に睨まれると、一年間風邪をひかないといわれている。当初の構想では怪獣のように巨大な暫の鎌倉権五郎が歌舞伎座の屋根の上から東京を睨み倒す、というものであった。しかし、写る所しか作らないとしても、あの歴史あるド派手な暫制作は時間的に無理だと思われたし、せっかく作った九代目の顔が隈取に埋没してしまうのが耐えられず、助六に変更した。

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月岡芳年作品を年代ごとに見てみると、思った通り、初期の人物が浮世絵浮世絵した時代は、かたわらに置かれた行灯も、逆遠近法、つまり遠ざかる程広がっていく日本的様式で描かれているが、人物がリアルに描かれると同時になりを潜め、正確な遠近法が用いられている。やはり私の作風では無理が生じるだろう。それに加えて、写真はそのままの形をとらえる物という先入観のおかげでよほど変形させないと効果が出ない。以前、試しに灯火器尽くしとでもいうように、行灯、平仄のみを画面に配して見たが、いくら陰影をなくそうとも効果が薄く面白みがなかった。 三島の椿説弓張月は、主役の三島以外は背景はおおよそ出来上がった。一見、浮世絵である。背後には松の木を配したが、もちろんカメラで撮影したものを使用している。 三島の四方から、木槌と竹釘をかまえた腰元の手が伸びている、なんていうのも考えている。馬琴の原作では、拷問のはてに、白縫姫が武藤太の首を自らはねる。三島演出ではそこまでしない。歌舞伎ならお得意の場面だが、三島は良く我慢したものである。歌舞伎の古典調にこだわった三島だが、私はそこまでこだわる必要はない。白縫が琴を爪弾くアップを薄っすらと背景に、なんてイメージが、今書いていて浮かんだ。 こうなってくると、加藤清正の虎退治も俵藤太の百足退治も可能である。虎はもちろん近所の猫を使うが。陰影の呪縛から解き放たれると、写真特有の空気感など失う物も確かにあるが、おかけでやりたい放題である。私はもちろんこちらを取る。

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一日  


太宰ともなれば当然どこかに銅像の類いがあるだろう。検索すると2体出てきた。いつものことだが、私が知っている太宰とは違った。 今日はDM用の作品を考えていた。ハラキリ三島の完成を急ごうかと思ったが、人形で作ったオマージュ展とはいえ、テーマがテーマなので、誤解も招きやすい。ハラキリは避け、唐獅子牡丹にしよう、と今日のところは。制作から数年経っているが、これなら私なりのユーモアも漂い、ホントとウソのブレンドもちょうど良い。 結局太宰はとりあえず芯になるスタイロフォームを削ってロクロの上に立たせて終了。後は寝るまで三島の仕上げをする。

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割腹中の三島は来週中に着彩、撮影を終えるだろう。展示は唐獅子牡丹を背負った三島にするつもりであったのだが、16年に一度展示している。今思うと深川江戸資料館という公の場所で展示出来たのが不思議である。なので今回は初披露となるハラキリバージョンを出品することにしようと考えている。 三島は切腹愛好会的な集いに参加していたようで、密かに撮った写真も残されている。同性愛の同好誌アドニスに下手くそに書いて、筆跡でバレないよう人に筆写させ発表した愛の処刑も、原稿だか制作ノートが残っていたせいで新潮社の全集に収まっている。残してならない物は、目の前で息子の嫁に焼かせた江戸川乱歩のように焼却処分すべきであったろう。 愛の処刑では、毛深い体育教師が、美少年の前で割腹をする。少年には先生素敵、僕はその顔が見たかったんだ。といわせている。手元に、そんな場面に相応しい三島があるのだから、愛の処刑を手掛けることも考えないではなく、以前近所に住む美少年に打診したことがあったが、私が作家シリーズでやっていることはたんに、挿絵を制作することではない。作者自身を作中に登場させることである。つまり体育教師を三島に扮してもらうためには、か弱い美少年ではなく、理知に犯されぬ肉体の所有者でないとならない。私の周囲には理知に犯されぬ肉体の所有者はいくらでもいるが、ついでに理知的でないのは肉体だけではないので使い物にはならない。ではその青年を私が作るとしたら肉付きの良い、まさにギリシャ彫刻のアンティノウスが如き若者でなければならないだろう。

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市ヶ谷駐屯地東部方面相関室左側の窓、窓外に広がる水平線に、^日輪は赫奕と昇った。^これにて画竜点睛。三島が最期に観た光景が完成した。椿説男の死の最後を飾るに相応しいカット。私の眉間にレンズを当てた念写により、ようやくこの場面は私の頭の中に間違いなく存在したことが証明された。かつて豊穣の海、奔馬を読んでイメージが浮かんだのはいつだったろうか。 まさか三島へのオマージュをまたやれるとは思わなかった。有り難いことである。おかげでやり尽くしていない感を払拭することかできる。 私のようにけじめを付けることなく、行き当たりばったり続けている無計画な人間は、あれができなかった、やっておくべきだった、と嘆きながら死んでいくのは仕方がない、と思っていたが、引っ越しを期に断捨離を決行でき、いや少々捨て過ぎ忘れて来た物が多々あるが、残された時間を考え、やり残したことを端から潰していく時間はまだあるうちで良かった。そういう意味では、太宰治も撮影用ではなく、完成させることができそうなことか何よりである。あんたとは色々あったな。と感慨深い。正直にいうと、引っ越し前、太宰をなんとかしたいとやっていて破綻していたのである。よっぽど捨ててしまおうかと思ったが、引っ越し荷物に放り込んで来たおかげで、ようやく頭部が完成した。おかげで敗北の記憶にならずに済んで良かった。20代はそんな記憶だらけであるが、作り潰した累々とした死体を踏ん潰してきて今に至っている。

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適当な私の作った三島画像の背景に馬琴の文章、松の木など配してみている。北斎が挿絵を描いた椿説弓張月よりも時代はずっと新しいが、私の思惑からすると、三島や乱歩が愛した月岡芳年の無残絵のスタイルで、それも色々やるうちに、上半身を大きめに、背景は単純にした魁題百撰相調にイメージが固まって来たが、だいたい背景は暗く、それは良いのだが、そうすると文字が読めなくなり、別に文字のスペースを作ることになる。文字は背景に配したいし、ならば明るい背景にするか悩む。 武藤太は、忽地椽の柱に縛り付けられる。ところがこの忽地椽がなんだか判らない。北斎の挿絵ではそれらしい物は描かれておらず、芳年も適当な杭のような物に縛られている。検索しても弓張月が出るばかりである。ホントのことなどどうでも良い、といいながら、作者がそう書いている以上、できるだけ勝手なことをしてはならないという、妙に律儀な所がある。馬琴が面白いことを考えたおかげで面白いことをさせてもらえるわけで、馬琴にも失礼があってはならない。そこで平岩弓枝の現代語訳を見てみようと思えば、図書館はしばらく休み。帰りに砂町銀座で大根の葉付きが買えないので、からし菜の大きな束を120円で。冷蔵庫には小松菜、菜の花などであふれる。しばらく食べなかったから不足しているのかもしれない。

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コロナといえば、市ヶ谷に向かう三島等4人は中古のコロナ車中で、ヤクザ映画なら唐獅子牡丹が流れるところだ、と全員で歌った。高倉健と池部良の討ち入り、道行きに自分達を見立てた訳である。そこで唐獅子牡丹を背負った三島と他の4人。背後には白いコロナ、という絵が浮かび。中古車を捜し出し撮影した。しかし肝腎の唐獅子牡丹の彫物をどうするか、絵を描いて貼り付けるか、と悩んでいるうちにタイムリミットが来て断念した。三島は薔薇十字社の写真集男の死のためだと思うが、彫師2人に連絡を取っている。しかし本気で入れる気であった可能性も捨てきれない。あれはいっぺんに入れるものではなく、腫れが治まるのを待って彫り進める。彫っている最中を見学したことがあるが、痛さのあまり途中で用事を思い出す人が少なからずいるそうである。三島には時間がない。入れたかったのは間違いなく、澁澤龍彦は学習院の父兄が入れるわけにはいかないでしょうと、いうのを聞いている。以前ブログに三島と彫師について書いたところ、高取英さんが三島は薔薇の彫り物を入れたかった、と教えていただいた。 当時、決起についての打ち合わせを六本木のサウナでよく行っていたが、そこで何も入っていない背中を見せておきながら、当日入っていて隊員ビックリ、世間はそれ以上にビックリ。三島はそのぐらいのことをやりかねない。もっとも介錯の森田の手元余計に狂い、さらに悲惨なことになっていたりして。 私の方はその数年後、女彫師と知り合い、人形に直接描いてもらい事なきを得た。

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三島が最後に目にした光景。それにしても、あれだけ物が置かれていた総監室が何もない。私に部屋を片付けさせたら大したものである。ただしパソコンの中限定である。最初のパソコンは、次第に動きが悪くなり、何でもかでも削除していたら動かなくなってしまった。 窓の外の三島が立ったバルコニーの向こうに、11月の海と空はこんな感じだろう、という手持ちのデータがあったので配した。なんとなく漂う不自然なわざとらしさ。マグリット感が漂い良い感じである。絵画では、全く音が聴こえて来ないような作品が好きである。そう考えると、陰影や空気感を排除してしまう最近の手法は、音など聴こえようもなく。自分の中にない物は出てこないものだが、在る物は、胸に手を当てていればちゃんと出てくるということであろう。総監室に当時あったカーテンが現場にはなかった。仕方ないので、家のカーテンをぶら下げた。いわなきゃ判らないことを、と思いながら書いている。どうせ誰も覚えていないだろうと思うと、これがお宅のカーテンですね。という方が会場に一人くらいみえるものである。 カリフォルニア州在住の妹にインフルエンザについて聞くと、こちらはまだ大丈夫だそうだが、マスク二百枚を日本の友人に送ったという。


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何だか今日は一日中眠く、寝たり起きたりしていた。小津安二郎のを晩春を観た。父親である笠智衆が、連れ合いを亡くし、そのせいで嫁に行かない原節子を嫁に行かせるため再婚する、と嘘をつく。「お父さんも56だ、お父さんの人生はもう終わりに近いんだよ。だけどお前達はこれからだ。何を言ってる。 椿説弓張月のちんせつは、珍説、異説のことだが、ちんぜいと読む方が本来なのであろう。主人公の鎮西為朝にかかっている。そうしたいところだが、あくまで三島へのオマージュであるから、三島がちんせつと読ませている限り、ちんせつである。もっとも昔の人にとっては為朝伝説が知られていてそう読ませなくとも判ったのかもしれない。 最終カットである市ヶ谷の総監室は、当時の現場写真を見ると、争った跡があるが、私の場合、窓外に海が拡がり、日輪が赫奕と昇る訳で、あくまでイメージであるから整然としていた方がむしろ良いだろう。窓辺のカーテンだけは加えることにした。

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