ヤフオクで模造刀落札。三島由紀夫制作のために関の孫六の模造刀を持っていたが、三島以外に使い道はないだろう、と引越しの際捨てて来た。一回目の三島由紀夫へのオマージュ展の時、個展会場を探していた時、ある会場を知人から紹介された。ただ会場の担当者がおらず、全て自分でやらねばならない。これは無理だと思っていたら、そこの先代社長が事件に使われた関の孫六を三島に進呈した人物だったことを知る。こんな偶然は良く起きるが、これは格別と決めたが、何をやっても良いが、三島だけはやめてくれ、と。事件当時、孫六が使われたことに「残念だ」との発言が、名誉なことを残念とは何事だ.」当時右翼の抗議が殺到したらしい。事件直前に『右翼の奴ら今に見ていろ』と三島が発言していたことが理解出来ない、三島に便乗しただけの輩は多かった。 一休は朱塗りの竹光の大太刀を〝役立たず“の象徴として堺の街を持ち歩き、当時の僧侶を皮肉った。