明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



『蘭渓道隆天童山坐禅図』すっかり完成した気でいた.これは唯一縦長で、長辺2メートル超の予定だが、そもそも天童山というのは中国の栄西や道元も修行したといわられ、蘭渓道隆来日前の坐禅図という設定である。岩山の全てを手に乗るサイズの石で作った。松の木は盆栽である。なのに滝だけは以前撮影した実際の滝である。それで良いのか? 頭に浮かんだイメージを、眉間にレンズを当てる〝念写が理想”なのであって本物とみまごう物を作ろうというのではない。なので主役の人物のディテールは一貫して粘土丸出しである。不必要なことはしない。長い間、真を写すという写真に抗い続けて来た。97年作家シリーズ第一回の個展タイトル『夜の夢こそまこと』は宣言だったはずである。

(部分)

 



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ヤフオクで模造刀落札。三島由紀夫制作のために関の孫六の模造刀を持っていたが、三島以外に使い道はないだろう、と引越しの際捨てて来た。一回目の三島由紀夫へのオマージュ展の時、個展会場を探していた時、ある会場を知人から紹介された。ただ会場の担当者がおらず、全て自分でやらねばならない。これは無理だと思っていたら、そこの先代社長が事件に使われた関の孫六を三島に進呈した人物だったことを知る。こんな偶然は良く起きるが、これは格別と決めたが、何をやっても良いが、三島だけはやめてくれ、と。事件当時、孫六が使われたことに「残念だ」との発言が、名誉なことを残念とは何事だ.」当時右翼の抗議が殺到したらしい。事件直前に『右翼の奴ら今に見ていろ』と三島が発言していたことが理解出来ない、三島に便乗しただけの輩は多かった。 一休は朱塗りの竹光の大太刀を〝役立たず“の象徴として堺の街を持ち歩き、当時の僧侶を皮肉った。



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新作の一休は陰影があるが、それは『半僧坊荒海祈祷図』以来である。半僧坊は、東シナ海に轟く雷鳴を表現したかったし、何より人間ではない。これは旅に出たり手術をする友人に、ご利益があるからと勧め、私も待ち受けにしている。 人間では一休が久しぶりであるが、そんなきっかけにも一休が貢献してくれると考えている。男の種々相を描くために手法の選択を広げておきたいという思いもあるか。特に和尚の顔は凹凸に富み陰影による演出のしがいがあるし、今から〝房事“での灯を想定して、といえなくもない。行燈のあかりを当てる当てないで悩んだ『ゲンセンカンの女』を思い出す。房事を描いて品を保つためには主役をなかなか見せずに恐怖を演出したジョーズ方式が適切ではないか、と今は考えているのだが。



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一休和尚の〝門松は〜めでたくもありめでたくもなし。これによって、生きるほど冥土に近付いてしまうことを知り、結果常に何か作りたい物がある私は、死ぬ時に途中挫折に苦しむことになるだろうことを、恐れ続ける原因となった。こちらは無自覚だったが、めでたいけどめでたくない。物事一面的ではない。に関しては自覚しており、むしろ小学生の私に客観性をもたらせたろう。こちらの影響は大きかった気がする。       一休はモチーフとして今までの誰とも違うところがあり、いずれ何かをもたらすだろう。私の勘がそういっている。おいおい判って来るだろうから、今から頭を悩ませる必要はない。



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一休和尚完成。今後一休とはしばらく付き合うことになりそうで、今回もそうだが、陰影有りのバージョンも制作しようと考えている。一度作品から陰影を排除と決めると〝そうであらねばならぬ“と妙に頑なところがあるので、そんなところを打開するにも、和尚が一役買ってくれるような、制作する対象に対してそう思うなど、今まで作ってきた人物とは趣が違う。 鍵っ子だった私に、生きるほど冥土に近付くという、逃れようがないことを教え、自分では全く気が付かなかったが、プレッシャーを受け続けることになった。ここで再会したのも縁である。

 



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昨日より街中でシャレコウベを掲げた雲水姿の一生を作成。まさに小四の私の頭に浮かんだ一休である。鍵っ子だった私が一人読み耽った姿が蘇る。違うといえば、この晩、掲げたシャレコウベ を枕に酔い潰れる『一休和尚酔臥図』を2年前に先に制作したが、その際酒器である瓢箪 を転がしておいたので、それを肩に乗せている。 水上勉の『一休』によると、一休はわざわざ墓場からシャレコウベを持って来たらしい。乱世の世の中、そこら辺を掘ればいくらでも出て来たかもしれないけど。 盲目の美女森女は女芸人である。傍に鼓を配したいが、今回もヤフオクと思ったが、出来れば埃じみた物でなく、良い物を使いたい。撮影させてくそうな人を思い出した。



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それにしても一休の顔が、非常に個性的な顔だというのが何よりで、よく左卜全で映画化されなかったものである。様々な場面で様々な表情を見せてくれるだろう。ここが立体像の被写体としての面白さである。しかし室生犀星みたいな顔ではそうは行かないが、犀星や乱歩のように表情が乏しければ、それはそれで何をやらせてもじっとしてるので、それに乗じてやりたい放題である。写真は無い物は撮れないので、被写体が一番偉いと思っているが、自分で作っているので遠慮はない。



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一休宗純を軸に制作してみよう、と考えていたが、昨日ブログを書いていて、男ばかり制作してきた私からすると、一休は男の種々相を描くにはうってつけであり、その点からも良い。 最後、具体的な誰でもなく、男の種々相を描くのに羅漢像を作り続けるのが良いのではないか、と考えていた。その際、4人だ6人だ五百羅漢だなどと目標は決めず。それはいうまでもなく一休和尚のせいで恐れ続けた途中挫折を避けるためである。しかし恐れの原因が明らかになった今、その原因で鬱憤を晴らすべきではないか。結果的にはおかげ今で制作している物が人生上の最突端である、とやって来られたのであるから、感謝しながら鬱憤も晴らすという、一筋縄ではいかない和尚には、そんな心持ちを抱えてアプローチして丁度良い気がする。



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冥土の旅を前に〝作り残し“に苦しむだろう。と長年ウンザリしてきた。それに対処するため変化を続け、これが出来ていなかった先週、昨日にさえ戻りたくないよう心がけてきた。結果的に一休和尚のおかげといって良い。そんな時〝死にとうない”と美女の膝枕を涙で濡らす和尚を作ろうと思った、というのが何だか可笑しい。一休の首を横にして眺めると、すでにそう見える。 長い間男ばかり作ってきたが、一休という人物、シャレコウベ掲げて歩いて良し、女の膝枕を涙で濡らして良し、男の種々相を描くには最適な人物といえそうである。ただし食わせ者の和尚に乗っかって、陰中より水仙花の香り、などと調子に乗るのは禁物である。うかつに手を出すと巴投げを食いそうである。

膝枕でなく手のひらだが。



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中学入学後、授業中も江戸川乱歩と谷崎潤一郎 を読み耽った。『鍵』の若い妻への嫉妬心を利用して回春を企てる老作家の心情など、中学生には理解すべくもなかったが『痴人の愛』のナオミが歳上だったのに、気が付いたら『瘋癲老人』の背中がすぐそこに見える年齢になってしまった。そう考えると『狂雲集』における一休の性への執着、喜寿から米寿にかけての盲目の美女との出来事が事実であれば見上げたものである。淫乱だ色狂いだと言い募ると、嫉妬しているようで癪に触るのでいわない。美女の膝枕で「死にとうない」と涙した一休。私が手掛けるに値する場面である。〝美人の陰に水仙花の香あり“ 爺ィ何をいっていやがる、という話だが、水仙花の香漂わせる表現力が私にあるかは不明だが、水仙花がどんな香りなのか機会あれば嗅いでおきたい。



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天皇の落胤としての出自、外に出された母親への想い。応仁の乱。ライバルとの確執、どこまで真に受けて良いのか晩年の盲目の森女との関係。時代が変わってとんちの一休さんに変じ、仕舞いにはアニメとなる。これほど様々な解釈をされ、これほど利用されまくった人物はいないだろう。先日の一休フォーラムは満員だった。 小四で読んだ『一休禅師』おかげで生きるということは死に近づくことだ、と知らされたことを制作中の今に至って気が付いた。この破戒僧に騙されてはいけないと思いながら、このままでは済まされないという思いもある。結局今までやって来たようにやるしかないのだろう。



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小学四年で読んだ『一休禅師』の一休和尚のイメージそのままの雲水姿の一休に取りかかる。背景も撮影した。まさかこの爺さんの〝門松は〜“が、あれもこれも作りたかったのに、と悔やみながら死ぬに決まっている。と私を何十年もウンザリさせ続けて来たとは思わなかった。雲水姿の一休を作っていて突然気が付いた。 『狂雲集』での、あからさまな一休にも及ばない訳には行かない、来年一月には冠動脈に何やら突っ込まれる目に会うというのに遠慮などしていられるいるか、と思う反面、書いてることを鵜呑みにして爺いに一杯食わされるのではないか?一筋縄ではいかない。

 

 



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三島作品に登場する死の場面を本人にやってもらう。これは三島にウケるだろう。これ以外、三島に関しては何一つやりたいことはなかった。2020年の『三島由紀夫へのオマージュ椿説男の死』(ふげん社)で初めてやり尽くし感を味わった。江戸川乱歩と共に中学時代授業中も読んだ谷崎潤一郎をやりたくはあったが、椿説男の死ほどの歯応えがあるとは思えなかった。長らく続けた作家シリーズだが、三島でやり尽くし感を感じていなかったら、未だ作家を作っていた可能性はある。薔薇十字社版『男の死』の出版の噂に怯えながらの10年2回に渡った。趣旨違えど一日でも早くと、結果出版5ヶ月前に開催出来た。薔薇十字社版は、自決直後の出版を楽しみにしていた三島があまりに哀れで未だに未見のままである。

F104椿説弓張り月

 



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一休が『狂雲集』に書いていることは解釈が色々あるし、風狂僧のいうことを鵜呑みにして良いものか。80近い老人が盲目の美女と、あんなことを。かといって一休禅師を描こうという時に、避けて良いものか。といってどう発表するのか? 一休の〝門松は〜目出度くもなし“このおかげで小学生の私は、生きれば生きるほど冥土に近づくことを教えられ、おかげで死の床であれを作れば良かった、これを作れば良かった、と後悔に苦しむに決まってる、と長年恐れ続ける原因となった。そう考えていたら来年冠動脈に何やら突っ込まれる羽目になっている。なのにグズグズいってられるか。それこそ後悔することになる。と思っていたら『ゲンセンカンの女』から電話。話すのは何年ぶりか?「今日は風邪気味で。ところで一休のことで今度相談があるんだけど。」



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来週、風邪か治っていれば、一休宗純の背景を撮りに行くことにする。雲水姿の一休は、竹竿にシャレコウベと朱鞘の大太刀を持ち替えたり、あるいは何も持たず。この今後、一休作品の基本となるだろう。まさに小四で読んだ『一休禅師』のイメージである。この一休の〝門松は〜目出度くもあり目出度くもなし“が、実はあれもこれも作れば良かった、と死の床で後悔に苦しむことを恐れ続けた原因だったとは。小四で和尚に生きれば生きるほど冥土が近くなることを教えられてしまった訳である。しかしその対抗策に、一日も後戻りしたくないよう変化を続け、やって来た。結果的にこれで良かった。しかしそうと判ればこの一休和尚はただでは済まされない。今後大いに働いてもらわない訳には行かない。



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