明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



一度書いたと思うが、私は小学校から中学にかけて、一連の名作をガロ誌上で読んでいる。当時兄でもいないかぎり、私の世代ではなかなかいないだろう。たまたま立ち読みしていて、白土三平のカムイ伝のくノ一が殿様をかどわかすシーンの、少年マンガとはレベルの違うエロさに買ったのだが、そのうちつげ義春、佐々木マキにはまってしまった。私はそれを小学5年の68年からだと思い込んでいたが、調べると掲載年月日がもっと旧い物まで覚えていたから、もっと前のようである。すべてが印象深いが、当時の私が最も強烈な印象を得たのは『ゲンセンカン主人』である。始めて体験した土俗的なエロテイシズムは子供の私には強烈過ぎた。そんなことばかりいっているが、少年という物はそうしたものである。 多分40年前くらいに青林堂から一冊物の全集を、当時かろうじて在庫が残っていた佐々木マキとともに取り寄せた物を未だに持っていて、たまに開いていたが、80年代の作品である「石を売る」「無能の人」「鳥師」「探石行」「カメラを売る」「蒸発」と続くシリーズ連作を、本日始めて読んだ。笑いどころもあり、60年代作品とは一味違い、実に面白かったのだが、私と全く無縁の世界とはいい難く、妙に身につまされたりして。私に女房がいたら、今度はよりによって寒山拾得?と嘆かれるばかりか箒で掃き出されていたのではないか?最近話題の中年俳優と違って私に女性を見る目があって幸いであった。いや密かに私のブログを読んでいる女性がいて、それはこっちのセリフだ!という怒声が聴こえてきそうなのでこの辺にしておく。

HP










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