明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



図書館で日本になぜ遠近法がなかったのか、などを解説している遠近法に関しての本を読む、中国そして西洋から導入されて来た。手前が浮き上がって見えるので浮き絵といったそうである。しかしなんだか建築に関する本のようで、これは間違いなくイビキをかいて、また職員に起されるな、と断念。ロケハンに行く。 生身の人間から陰影を取り去っても絵のようにはならないが、頭の中のイメージ同様、あの世にも光源がない。ということで、お露とお米も陰影を取り去っての撮影を試してみたい。本日も絵画全集を見ていて思いついたことがある。 当然地面、その他にも二人の影があってはおかしい。となると、手にした牡丹灯籠のピンク色の光の影響も受けないことになる。そこはちょっと惜しい。まあ良い。牡丹灯籠はあの世の所属である。私がルールブックだ。 背景に人物、人形を合成する場合、背景と近い光を、同じ方向から当てる必要があるが、幽霊となれば関係ないことになる。お露が焦れ死んだ相手の新三郎の家に、カランコロンと二人が通うシーンに使う背景は決まった。ヒトダマは一人に一つまとわりつかせる。後は室内だが、完全な黒バックも捨てきれないが、うっすらと室内のデイテールが見える、ということも頭にいれておきたい。お露お米と引替え、この世の者である円朝は、手燭の灯りで下から照らされ、いわゆる“お化けだぞ〜”をようやくここでやってみたい。陰影のない幽霊二人とのコントラストを付けたい。 一度は完成していた高座の圓朝の両脇に立てる燭台と蠟燭。小型LEDで蠟燭の灯が揺らぐようになっていたが、面白がって触っていたら断線。作り直さなければならなくなった。

HP

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