明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



ホックニーによると、昔の巨匠達が機械を使って対象を写していたという話であったが、小学生の私が写生が嫌いだったのは、目の前の物を写すからである。当時の私は絵が上手いということは、見ないでも描けるくらい記憶しているということだと思っていた。そしてそここそが絵を描く楽しい所だと。対象が目の前にあるのなら記憶力が発揮できないし、アレンジも加えられないではないか。 そう思うと私は幼い頃から終始一貫している。私はながらく写真嫌いで、写真を始めるのが遅かった。それは写真の身も蓋もなく写ってしまうことではなかったか。昔の画家はむしろそこを利用していたことになる。しかし未熟な私の制作物を撮ることを思いついて身も蓋もないところは気にならなくなった。むしろ陰影のおかげで七難かくすことができたからである。 写生嫌いでデッサンもろくすっぽしないままここまで来てしまったが、皮肉なことに、写真のおかげで物故者を写真を参考に作ることになり、随分と勉強してしまい、情報も頭の中に入ってしまった。幼い頃から観ていたプロレス中継の記憶だけで人体を作っていたような頃にはもう戻れない。 ところでここへ来て、写真という物の身も蓋もないところに改めて不満が湧いて来て、陰影を消してみたり、さらに寒山拾得などという、おそらく架空の人物に興味がわいて来ている。そういう段階にきているのかな、と思う今日このごろである。なにしろ行き当たりバッタリである。ただ、なんだか判らないけどこうなっちゃった、ではいかにも馬鹿みたいなので、こうして後からなんでだろう、と考え、始めからそのつもりだった、予定通りである。みたいな顔をしたい訳なのである。

HP

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