明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



私は東京の食べ物はジワリ々と塩分が強くなっている、と20年くらい前にすでに感じていたのだが、特に顕著なのがラーメンである。始めて入るラーメン店では、店主の隙を見てコップの水を加えることが2割ほどもある。猫舌なので平気でしてしまうわけだが、炭坑脇のラーメン店じゃあるまいし、何故あれほどしょっぱくするのか訳が判らない。もっとも、それで良いと通う客がいるのだろうから、私はただ黙って水を加えるだけである。 食べられなくて、一度だけ途中で残して帰ったことがある。それはラーメンでなくチャーハンであったが、トンでもなくしょっぱかった。いちおうレジでは伝えたが、犯人は何人かいた調理人の中の若い中国人だ、と判っていたし、何度か通って始めてのことだったので、もう二度と来るか、とはならなかった。私は腹をちょっと壊すくらいなら、たまたまだろう、とたいして気にはならない。 とここまで書いてきて、東京の食べ物がしょっぱくなったのは、東京オリンピック以降だ、といいたくなってきた。そういうと収まりがいいような気がしただけだが。私のイメージの東京は、1964年のオリンピック以前の東京であり、あまりの変わり様に不感症になってしまったのか、東京に何ができようと壊れようと、ほとんど何も感じない。よく腹を立てている人がいるが、あんたの家の庭木を折られたわけでなし。塩分ではなく甘味でいうと、チクロの味を知らない世代とは駄菓子に付いて語り合う気にはなれない。駄菓子に関しては団菊爺ならぬチクロ爺な私である。 当ブログには良くあることだが、たいしていいたいことがある訳でもないのに、だらだら書いているからこういうことになる。本日はタイトルだけ見ると内容がありそ気なのだが。

HP

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