明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

献杯  


T千穂にクーデターによりK本を追い出された常連の落ち武者が集合し、先日84で亡くなった斉藤さんに献杯を捧げた。斉藤さんは菊作りの名人であり、近所の小学校でボランテイアで菊その他植物やウサギの面倒を何十年も観て来た。卒業生の感謝状が物凄い量溜まっていると訊いた。K本の常連も、小学校で育てたゴーヤ、ピーマンなどよくお裾分け頂いた。私は朝方まで作業していて寝入りばなにやってきて野菜をいただいたが、たまりかねてドアノブにかけてもらうことにした。頼まれて菊だらけの小学校内の特設作業場を撮影した事があるが、学校の方針でそれも撤去されてしまった。さみしそうだったが、それでも早朝の学校通いは続けていた。斉藤さんは鉄人ルーテーズにちょっと似ていたが、テーズと違って髪の毛は黒々、声は坂上二郎にそっくりであった。 以前K本に40センチはあろうか、という元大工の斉藤さん手製の男根を持って来たことがある。こんなものいつまでもウチに置いといても、ということであった。子供のいない斉藤さんが子宝祈願のために作ったものであることは察しがついた。ありがたく『貝の穴に河童の居る事』(風濤社)に使わせてもらった。書籍では文章の下地で、しかも遠慮してぼかした事もあり、良く判らなかったが、昨年のスライドと義太夫のイベントでは、間違ってぼかす前のデータを使ってしまい、舞台上に3メートル程の男根を一分以上屹立させてしまった。最後に会ったのは、昨年暮れに母のために飴を持って来てくれた時であろう。その後、たまたま電話したら声に張りがなく、これから癌研に検査に行くといっていた。最初の癌を克服したが、その後胃を全摘、今回は咽頭癌で、もう手術はしないといっていたらしい。木場の鉄人もついに力尽きた。飲み会で、良い声で都々逸を聴かせてくれたことを思い出す。 ※落ち武者の皆さんは当ブログ左下の検索窓で福耳、とでも入れてもらえば、随分前の斉藤さんが出て来ます。合掌

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )