明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



今作っている人物がことの他快調で、だったら当時仕事を一緒にしたり、手紙のやり取りをした人物も、返す刀で作ってしまおうか、と昨日書いたが、そんなことばかりやっていると来年の予定がおかしくなってしまうだろう。ただこの無計画、行き当たりばったりが私の方向性を決めて来たのも事実であり、毛細血管が枝葉を延ばすが如きに迷走しながら進んで来た。しかしその人物は制作中の人物との共演こそ画になりそうだが、単体ではあまりに渋過ぎて、さすがの私も手が出せない。そう思っていたら鏑木清方がその人物の日常を、まるで見て来たかのように描いているではないか。“またお会いしましたね” 今年は鏑木清方の『三遊亭円朝像』が私を悩ませ創作とは何か、ということを考えさせられた一年だったといって良いだろう。そう思うと、それがなければ制作中の人物を作ることもなかった。まさにここでまた一枝伸ばしたことになる。 それにしても、ここに至るのに少々時間がかかり過ぎた。写真資料を見ながら実在の人を作るのは、昨日書いたように、私の力では年6体が限界である(写真作品制作も含む)たまたま作りたい実在した人物がいなくなり(といいながら作っているが)見渡してみたらまだ山の5合目あたりではないか。これはまずい。私は小学生の頃からことあるごとに大器晩成だといわれていたが、晩とはいったいいつのことを指すのか。もうすっかり夕暮れ時のような気がするのだが。これから私ができることといったら睡眠時間をさらに減らすことぐらいであろう。

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』より

月刊ヘアモード12月号 no・693
不気味の谷へようこそ第9回 脳内イメージを表す人形写真

※『タウン誌深川』25日“明日できること今日はせず”連載5回「芭蕉の実像」

HP

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