3月に入り、明日粘土を購入することにした。取り敢えず寒山と拾得、豊干禅師、室生犀星の頭部の分だけである。ラインナップを見るとお前はなんなんだ、と私自身がそう思うが、例によって完成の暁には、すべて計画通りであった、行き当たりばったりなんてはずがある訳がないだろう、という顔をする予定である。『寒山拾得』は新たな寒山拾得像を、などとは考えておらず、伝わって来た伝統的寒山拾得像に準じるつもりである。写真によるアプローチということでもう充分過ぎるであろう。ただし背景には私しか使えないであろう策を用意してある。 後先考えず、頭に浮かんだ見たことのない物を制作する。それが私の渡世であると思って来たが、粘土に触らず数カ月。十八歳以来始めてのことであろう。池の杭にしがみ付いた姿三四郎の如き期間であったか? しかし首がすでにある人物以外作らないと宣言したのに、金魚の卸売業の店を紹介する、という話しを聞いた時点で室生犀星で『蜜のあはれ』を作る事になるなと思い、かつて一枚も作品が売れなかった個展三島の『男の死』を再び、という話しに大喜びしているのを考えると、性根という物は、池の杭に摑まったくらいで変わる物ではないようである。
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アートコレクターズ(生活の友社)引用の美学 存在しないものを撮る 石塚公昭
『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube
※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載13回『月に兎 泉鏡花
