昨日ホームの母に荷物を送る際、写真店でプリントを頼んだのは覚えているが、荷物に入れた記憶がない。頼んでいるのと受け取った記憶は、そこにプリントがあるかどうかの違いだが、それが判らない。確実にボケは始まっているという事であろう。 方向感覚の欠如した私は以前来た場所で、記憶が鮮明だとしても、行きと帰りの映像が、名前も付けられないまま同じフォルダに格納されているおかげで、自信たっぷりに知ってる覚えている、と歩き、あげくに人に尋ねると、来た道を指さされる事がしょっちゅうである。 肝心なことは忘れるのにどうでも良い事ばかり覚えている私だが、制作においては、そのどうでも良い記憶が大活躍し、肝心なことはほほ役に立たないから、まあ良しとしている。 20年ほど前に東京駅から電車に乗り、走り出した時、一車線おいた向こうのホームに並んだ、前から三番目くらいの男の顔が人の間からちらっと見えた。もし悪魔を作る事があったらあいつを使ってやろう、と未だに思っているので、私に殺人現場を目撃れた犯人は切ない事になるぜ、などと周囲にいっていたものの、前述の調子だと、被害者の断末魔の表情ばかり克明に記憶し、肝心な犯人の顔はからきし、何て事は大いにあり得る。
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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube
※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載13回『月に兎 泉鏡花