永らく制作していると、何が良いといって、重ねて来た失敗時のデータ量であろう。特に私のような独学者はこれが頼りである。ここまで失敗をくり返してくると、初めての失敗というものがのがほとんど無くなって来て、どうして良いか判らず、固まってしまうという悪夢を観ることもない。記憶のデータをたぐれば必ずどこかにある。だがこれは、完成をただ祈るのみ、という手法?である人形制作の場合であって、写真の場合は時々手法を変えるので、失敗のデータも経験して蓄積して行かないとならない。 室生犀星の『蜜のあはれ』を着想した当時は、後にまさか写真の主要な醍醐味である、陰影を排除することになるとは夢にも思わず、犀星の懐から大金魚がヌルリと顔を出す所をイメージしていて、むしろ老作家とヌルリ自体が面白いとさえ思っていたのだが、陰影がないのだから、ヌルリの艶表現は出来ないこととになる。初めてやることは、それはそれで面白い。しかしこの新手法にしても、グルーブ展の出品作を会期中に二度も差し替えるという大失態を演じてしまったが、失態に〝大〟が付いた分、得る物も大きかった。
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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube
深川江戸資料館にて葛飾北斎像展示中
※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載13回『月に兎 泉鏡花