気が付いたら11月も半ばである。三島由紀夫の命日も近い。三島に関しては、始めた当初から、三島が様々な状態で死んでいる『男の死』しかやりたい事はない。2011年の個展は周囲に止める人いたが、その言葉さえ妙なる音楽に聞こえてしまう始末で、三島は絶対喜ぶぞ、とそればかりであった。結果小さなプリントはともかく、一点も売れず。考えてみたら、いや考えなくとも、いくら作り物とはいえ、人が死んでいるところを欲しがる人はいないであろう。「もっと血を!」の三島が喜ぶだろうと、まさに出血大サービス。 私はそもそも三島作品に興味を持つたのは遅かった。映画『黒蜥蜴』の剥製役や『からっ風野郎』のチンピラヤクザを見て呆れていたからだが、金閣寺を読んで風向きが変わり始め、最終的にはその特異な人物像、その類を見ない本気さに感銘を受けた。なので通常の、作品の中に入って貰うだけでなく死んで貰う事を考えた。事件の一週間前まで自分の発案した死に方で死んでいる所を撮らせ、事件直後に出版を目論んでいた事を知った時には、本人にやられていた、という衝撃はあったが「そうでしようとも。思った通り!」が大きかった。事あるごとに制作してきたが、ラストカットは再度市ヶ谷に出向き、三島が最後に見た風景を撮影して“正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼(まぶた)の裏に赫奕(かくやく)と昇った”これで決まりである。
【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』