明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



市ヶ谷の駐屯地は、事件当時のままではなく、外見はいくらかコンパクトになっている。よって加工しないと昔の通りにはならなかった。上に付いていた桜のマークも取り外され玄関に置いてあった。撮影は、命日の一週間前後。何十年経とうが、11月の光の質は変わらないであろう。ただ移築された、と聞いたのを忘れていた。つまり向きが変わっていれば光も変わる。特に問題はないと思えたが。 当日ヤジを飛ばした自衛隊員もこうして見上げたんだな、と思った。何度も繰り返しているが、あのヤジも三島の計算の内だったと私は思っている。非難轟々の中「もはやこれまで。」踵を返して割腹。という悲劇的な場面はすべて三島の演出の通りであった、と私は思う。そのぐらいの事は計算する人である。演説と言えば当時ハンドマイクがつきものであったが、不粋でもあるが、ちゃんと聴こえる必用はなかったろう。計算違いと言えば、森田必勝の介錯が下手で、グサグサやられながら、たまりかねてか、自ら舌を噛み切ろうとした形跡があった。乃木希典は明治天皇崩御の翌日、介錯なしで割腹したが、動脈を切断しない限り簡単には死ねない。一晩中、近所に乃木のうめき声が聞こえたという。三島は事前に森田に「あまり苦しませるな。」と冗談混じりで言ったようだが、次に、自らも割腹する事になっている森田に介錯されることを望んだ事に問題があったろう。かつて三島が肉体に目覚めるきっかけとなった海外渡航で、バチカンで一目惚れして2回も見たというアンテイノウス像は森田にそっくりである。

 

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』

 

 

 

『石塚公昭 幻想写真展き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界




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