写真とは何かと言いうことについてあまり考えることはないが、小さな人形が主役で、実景や人物、物との合成を始めた時点でその拡大率の違いから、粒子、ボケ味などと言う、写真の大事な要素は捨てた。いや頭に浮かんだイメージを可視化するためにはどんな卑怯な手でも使うぜ、なんて言ってる私であるから、もっと気が付かない所で捨ててしまっているかもしれない。最近では、ついに肝腎要の陰影も捨てているし。 これは私が元々写真に興味がなく、写真少年ではなかったせいで未練もなく捨てられるのかもしれない。露出の意味がしばらく理解出来ず、知り合いのカメラマンに、写真屋の写真みたいではない写真にしたいのだけれど、と相談した。私の言うその意味はフラッシュを使っていない写真の事を言っていた。そんな私であるから、突如廃れた写真技法のオイルプリントを人形も作らず実験を始めた時には、いい加減にしろよ、と友人には友情を持って止められたものである。そう思うと、もはや誰も止めてくれなくなって久しい。
【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』