明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



“すでにここ一年あまり、私は奇体な玩具をあてがわれた子供の悩みを悩んでいた。十三歳であった。その玩具は折あるごとに容積を増し、使いようによっては随分面白い玩具であることをほのめかすのだった。” そして三島由紀夫十三歳のある日、風邪気味で学校を休まされたのをよいことに、父親の外国土産の画集を眺めていた。そこで見たのが『聖セバスチャンの殉教』図でありその絵を見た刹那 “私の血液は奔騰し、私の気管は憤怒の色をたたえた。この張り裂けるばかりになつた私の一部は、今までになく激しく私の行使を待って、私の無知をなじり、憤ろしくいきづいていた。私の手はしらずしらず、誰にも教えられぬ動きをはじめた。” “これが私の最初のejaculatioであり、また、最初の不手際な・突発的な「悪習」だった” 『仮面の告白』第二章より 久しぶりにこのくだりを読んで、三島ではなく自分について理解した事がある。 きっかけはどうあれ、何事も三島のように自ら“発見”するのと、知識として学んで習得するのでは大きな違いがあり、とくに創作に関しては”誰にも教えられぬ自発的な動き“により行われるべきである、と私は頑なに思い込んでいるということである。 常日頃、頭で理解出来ずとも、まずは自分の中から湧出る衝動を第一として優先し従い、自ら“発見”する機会を“阻害する、“そのための知識“を得る事を常に恐れ避けて来た理由がここにある事に気付いたのである。知ってしまったら”誰にも教えられぬ動き“による創作は不可能となる。そう思うと、私が展覧会を全く見に行かなくなったのも、出不精をこじらせたと思い込んでいたが、私が自発的に見付ける前に、他人の創作物により知ってしまう事を回避している、と思えば判る気がする。 よりによって私に取って重要な事を三島のこんなシーンで気付かされるとは。ところで全くの余談であるが、早熟の天才三島よりも、この件に関してだけは、私の方が一歳早い。


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