明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



一瞬で唐突に浮かぶイメージに最後まで支配されて良いのか。諦めの悪い私はそのせいで可能性を失っているのではないか、常に疑心暗鬼になるのだが、悔しい事にファーストインプレッションを超えたことがない。チャーリー・パーカーじゃあるまいし。今回はいつになく抵抗した。私が制作した人物でも世界的スーパースターである。今はどちらかというと、写真のモチーフとして作っている。ならばまずどんな絵にするか考えることにした。もちろんスケッチするわけでもなく、ミルクボーイやかまいたちを観たりしながら、何十年ぶりにコーンフレークを食べたくなったりしながらである。陶芸家をやっていた地元の先輩が、かつて小中の同級生が、連絡もよこさず突然遊びに来るので困るとこぼしていた。あいつら手を動かしてなければ暇だと思うんだよなと。堅気の人から見れば、手を動かし何か作っていなければ一服しているようにしか見えないであろう。 たしかに私など、あれだけ作りたくて我慢できずに首だけ引っこ抜いて来たのに、傍から見れば漫才観て笑っているだけのようにしか見えないし、書いていてもぐうたら者の、言い訳にしか思えない。だがしかし、先日書いたように常に葛飾北斎という色眼鏡をかけている状態であり、スケッチブックを前に励んでしまえば、いざ制作の時は、設計図通り作るプラモデルを作るが如き心持ちになってしまう。子供の頃から、塗り絵やプラモデルの下手くそさは自分でも呆れるほどであった。 長いこと作って来たから己の操作法は心得ている。そして北斎の爺い、随分と手こずらせやがったな、と。これをアップしたらようやく粘土を手にすることになるだろう。

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