明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



私が切腹と言うと一番印象に残っているのは、小学生の時に映画館で観た『日本のいちばん長い日』で阿南惟幾を演じた三船敏郎である。酒を酌み交わし、介錯を断り割腹の後、頸動脈を自ら搔き切って絶命する。これが長回しで子供の私には余りにリアルでショッキングであった。 詳しい事は書けないが、死に装束の武士姿の○島が両手で短刀を握り頸動脈を刺している写真が存在する。腹の部分はおそらくウエストレベルのカメラのファインダーを覗く、アフロヘアーの男の後ろ姿で見えないが、すでに割腹した直後の動作であろう。まさに『仮名手本忠臣蔵』四段目判官切腹の場そのもので、おそらく男のイメージしていたのもそれではないか。 赤穂浪士の時代は、切腹はあったろうが、形だけで、三方の刀を取ろうとした時点で介錯する場合も多かったと聞く。公開の場ならともかく、そうでなければ浪士のへの同情から、苦痛は少なくしてやりたいと言う介錯人もいただろう。逆に割腹し、苦しんでいるところをわざと間を置くような介錯人も中にはいたらしい。 三島事件を三島と森田必勝の心中と見なす向きもあるが、私は違うと思う。介錯は森田に、と三島が希望したかもしれないが、森田には介錯だけで、死なずに生き続けて貰いたかったのではないか、と私は思う。実際寸前まで説得している。しかし森田は応じず。次に自らも割腹する森田は無理もないが、手元が狂い酷い事になった。本来なら、残る二人のいずれかに介錯を任せるのが合理的であろう。 死ぬのは俺一人で良い。“俺を太宰なんかと一緒にするな!”三島は声を大にして言いたいだろう。


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