明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



葛飾北斎は、陰影のない”石塚式ピクトリアリズム“ですでに蛸と赤富士の二点ある。三作目は画室で絵を描く北斎に決めた。窓から富士山が見える、というのも考えたが、まずは夜、行灯、蝋燭の光でいきたい。江戸時代、蝋燭は、庶民にとって高価で、その多くは魚からとった油を使った、よって魚臭くて早く寝た。そんな時代である。夜は今の常識からすればかなり暗い。まずは痩せ我慢?せず、どっぷり付け汁、いや陰影にたっぷりひたしてすすってやろう。 正直言って”石塚式“の制作は、蕎麦を汁に浸けたいのに我慢を強いる手法である。何度も繰り返したように、造形する、ということは陰影を作り出すことに他ならない。今までそうしてきたし、自分で作った皺じみた男達の陰影をさらに強調する工程は格別である。それを一切しないのであるから。しかし私の大リーグボール3号たる石塚式は、技術的には簡単だが、被写体制作と撮影者が同一である、ゆえの葛藤こそが、二刀流に始めて意味を生じさせた。それに比べれば、これまでやって来たことは二人でやることをただ一人でやっていたに過ぎない。 ところで一度蝋燭の炎を筆で描いてしまった私は、写真的リアリズムの世界に戻る事など出来るのだろうか。何を今更しおらしいフリしていやがる。と書いてる自分がそう思う。

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