明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



三島由紀夫、初の書き下ろし小説『仮面の告白』。起筆日の11月25日に後に自決する事になる。作中“そこで私はいつになっても、理智に犯されぬ肉の所有者、つまり、与太者・水夫・兵士・漁夫などを、彼らと言葉を交はさないやうに要心しながら、熱烈な冷淡さで、遠くはなれてしげしげと見てゐる他はなかつた。”これらのまさに三島好みの人物に自ら扮し、死の場面を演じて篠山紀信に撮らせたのが、幻の写真集『男の死』だが、それは三島本人がやるから良いので、私が面白いから、と言って、勝手な場面を創作してはならない。 何年も前からザンバラ髪の侍が捕的に追い詰められ、と言う場面を考えていたが、該当するエピソードが思い付かない。神風連の乱というのも有りかと思ったが、西洋文明を否定した武士達が、あえて刀や槍で抵抗し、鉄砲に全滅させられる所が良い訳で、今一つである。そこに『椿説弓張月』の中に主君を裏切り仇を討たれる武藤太に、三島本人にやられてしまった『聖セバスチャンの殉教』図を見つけた。イメージしていた侍モチーフでもあり“一挙両得”という訳である。三島歌舞伎の演出の責め場は三島趣味炸裂であり、公演プログラムに書かれた〝私には堕落と悪への嗜欲も潜み、その夢は、雪のふりしきる中に美女達の手で虐殺される武藤太に化身してゑる〟という一文を見つけた。まさにビンゴ!の思いである。世間に呆れられながらも映画や新劇の舞台に出演した三島も、歌舞伎の舞台には立てなかった。武藤太のその場面には身体を鍛えた代役をたてた。お望み通り、汚穢屋の青年に扮して差し上げたように、思い切り歌舞伎メイクで、存分に断末魔の苦しみを味わって貰いたい。三島は役者達の理解力の無さに不満を持っていたようであるが、死の一年前の上演という意味でも悲劇の英雄、源為朝に三島が託した物は何だったのか。改めて重要である、との思いを強く持った。 そして以前も書いたが、三島に面会し、石塚版『椿説男の死』を見せ「君は随分暇な人なんだねガハハハ。」お忙しい三島先生の時間を拝借し過ぎてはいけない。早々においとまし、と見せかけ、庭の木か、石像によじ登って様子を伺っていると、脇に片付けた、と思われた私の『椿説男の死』満更でない顔して眺める三島を夢想するのである。


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