明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



月一回のクリニックへ、ここは美人ばかりだが、最近入ったスラッとした看護師は、私の手に付いた粘土を目ざとく見つけ「どうされました?」急いで出てきたので付いたまま。そもそも粘土、絵の具は汚いという感覚がなく、平気で手に付けたまま酒場に顔を出していた。ところが油が付くのが苦手で、フライドチキンなど食べると紙だらけになってしまう。「人形作ってまして。」「職人さんなんですね。」はぁ、頼まれなくても勝手に作る所が似て非なるところだけど。 引っ越し以来、かなり規則正しく3食食べている。今回も何かされましたか?といわれるぐらい成績が良かった。 当初北斎は、絵筆を持ち、描いている所にするつもりが、右手を膝に着いている画が浮かんでしまったおかげで、絵筆は持たせるが、前のめりに、何か描く対象を凝視する老人になった。北斎がぎっちょだ、という説さえあれば、左手に絵筆を持たせるのだが。最初に頭に浮かんだイメージを修整できない、というなんだかよくわからない私の融通の効かなさである。さらにここで私の第二の病気が頭をもたげる。画室の葛飾北斎、絵を描く事に生涯を捧げた人物をただ描くつもりでいたが、この画狂老人が何を凝視していたら面白いか、と余計な事を思ってしまった。私の癖というのか悪癖というのか、モットーといえば良いのか、"感心されるくらいなら呆れられたい"病が首をもたげ始める。つまり素晴らしい作品ですねと真顔で言われ居心地が悪いくらいなら、何やってるんですか!と呆れられる方がマシ、と言う訳である。

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