明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



葛飾北斎は、深川江戸資料館の杉浦日向子のコーナーに一年間貸し出し、昨年11月に終わったが、返却されないままであった。私も引っ越しなどあり、いつでも良いや、とそのままにしておいたのだが、作りたくなると、どうにも押さえ難くなる、よく口がもう豚カツになってるので、なんて人がいるが、今日は口が三島ではなく北斎になっている。昔は材料を買うのに翌朝まで待てずに、室内アンテナを切ってしまったり、色々しでかしたが、作りたいのに作れない、というのがカンシヤクの元である。催促すると18日に持って来てくれる、というのだが、我慢できない。かといって、わざわざ取りに出向かなければならないのも。北斎は通常より重たい。そこでどうせ持って帰ってから作るために首を引っこ抜くのだから、と出かけ、首だけ引っこ抜いて帰って来た。これで安心、始められる。 ところが私の欠点が露呈する。棚ぼたのようにイメージが落ちてくるのは良いが、そこから構図が固まって動こうとしないのである。北斎が描いている最中のつもりが、右手を膝に着いている。北斎が左利きであればよいが絵描きとしてそれなりの特徴であるから、私の耳に入っているだろう。実に困った。 私が憧れ続けているのは、スケッチブックを前に、ああでもない、こうでもない、と悩む事である。下手にスケッチなんかしようとすると、最初のイタヅラ描きで決まってしまうので、うかつに鉛筆も持てない。さてどうする。 Eテレで室生犀星のヨーカン好きをやっていた。


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それにしても、三島の話はいい加減に、と言ってるそばから三島に戻ってしまう。色眼鏡という言葉があるが、室生犀星の時は室生犀星の、そして今は三島由紀夫の色眼鏡をかけて生活しているような状態である、すべてがそれ越しに見えている、といえば判りやすいだろうか。洗濯物を干していても洗濯物と私の間に三島のイメージ挟まってくる。それはあくまでイメージの話しである。 ドラマで北斎が西洋画を見ながら「見たまんま描いていやがる。」私には感心しつつも野暮な連中だ。と聞こえたのだが。そもそも陰影のない作品といえば浮世絵なので、当然北斎はそうしてみた。ここぞとばかりに大蛸に襲われながらも絵筆離さない画狂老人と、赤富士を見上げる北斎を作った。思惑通り何でも可能である。そもそも赤富士は後ろにあるのに見上げているなんて言う設定は、写真や西洋画には不可能な芸当である。普通に陰影のある写真でやったらスーパーのチラシになってしまうだろう。見たまんまといえば写真である。真を写す、という言葉を長らく嫌っておきながら、その先入観を利用してウソ八百やってきたのは実は私であった。その最重要なツールが陰影である。書いていながら、どの口が言うと思うが、陰影ありのパターンで画室の北斎を作ってみたくなった。おせちも良いけどカレーもね。というではないか。


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