明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



以前、サンディエゴ写真美術館の館長クラチコさんに作品を見て頂いた時、最後に何か質問は?と聞かれた。私が聞きたい事はただ一つ。私と同じようなアプローチをしている人はいますか?であった。ウーンと言って頂いた紙片にはシンディ・シャーマンと書いてあった。怖れ多いし大分違うと思うのだが、3つ年上の彼女に昔ちょっと惚れていたから嬉しくはあったが。 私は自分の倒錯性について思うのは、夜中に一人制作していて、今地球上で、こんなことしているのは私だけだろう、と思うと得もいわれぬ幸福感に満たされるのである。勿論、要らないから誰もやらないのだ、という可能性は横に置いておける私の性格もあるだろう。それは人と違う事をしたい、ヘソ曲がりである、などという陳腐な理由とは意味が違う。一般人が、家族に囲まれ団欒の中で感じる幸福感と、おそらく異音同義なものであり、逆に家族に囲まれた団欒の中では、孤独感に苛まれ私は耐え難い苦痛を味わう事になるだろう。この件に関しては私自身の倒錯性を認めざるを得ない。 こんな事を書くと、◯◯から間もなく過剰に反応したメールが来るだろう。 ''お前それは、北斎で何かやらかそうってフリだろ?蛸と絡ませた時、言ってただろ。いつもと違って北斎本人にウケようなんて考えてもいないし、子孫なんかいないからどうでも良いんだ。’’ こういうトンチンカンな早合点がいるから困る。私はただ画室で絵を描く葛飾北斎を作りたいだけである。


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