明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



瑠璃色に水玉のご飯茶碗、湯呑がそれぞれ四客届く。ドライブインの、職員室の、集会所のアレである。希望通りの佇まい。水玉部分はフリーハンドで呉須(瑠璃色の顔料)ごとえぐっているように見える。その不揃い感が案外一味添えているし、そのディンプルが滑り止めとしての効果もある。やはりここまでロングセラーになると私の思った通り、製造者の思惑までもすり減って嫌味もない。新刊書店になく、古書店にある好ましさと同じである。 陶芸家を目指しながら、一年間製陶工場にいたおかげで、良い物を安く、という矛盾した事を、そう思われないための企業努力、企みがどうしても鼻についてしまう。売れなければ、点の一つ線の一本を工場長の指図で徐々に減らして行く経験もしたし、下請けの老夫婦がもっと仕事を、と明らかに目を泣き腫らして来るのを二十歳の私は見ていたから、おかげで余計な物まで見えてしまうのである。なので、引っ越し以来、まだ飯茶碗がない、とブログを書いていて浮かんだのがルリ水玉であった。 何本か引かれたラインは、朝ドラのスカーレットのタイトル冒頭に出てくる手回しのろくろ台に乗せ回転、遠心力を利用し指先で一、二度中心にむけ突っつくと真中に来る、そこで線をツーッと引く。工場で毎日やった。これは後に一度だけ役にたった。居酒屋で誰かが持ち込んたEPレコードを聴こうという事になったが、真ん中にはめるアダプターが無いという。そこで私がターンテーブルを回転させ、ツンツンとその度”芯出し”してレコードをかけた。






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