明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



蝋燭の炎は、一度筆で描いてしまったら戻れそうにない。そういえば、昔手塚治虫を作った時、手塚マンガのジェット噴射は蝋燭の炎みたいだったな、と蝋燭の炎を撮影して使ってみたが、流石にそのままでは出力不足は如何ともし難かった。 私は行き当たりばったり、いい加減な割に、一度陰影を消したら、以後すべてそれで行くべき、などと律義にけじめを付けたがるところがある。しかし、整合性、矛盾をものともせず、夜の夢を優先してこそ"乱歩チルドレン"である。今さら蝋燭の炎にレンズを向けて、などやる気がしない。後戻りはできない。じゃあ水はどうするんだ。いずれ直面することもあろう。円谷英二も、水と火には苦労している。 ところで、律義といえばどうにもならないのが、一度頭に浮かんでしまったら、構図その他変更が効かない件だが、やはりどうすることもできず。次何作ろうか、などと悩むことが全くない代わりに、この融通の効かなさは嫌になる。片手に人形、片手にカメラで街に出て撮影して歩いた“大リーグボール1号"時代にはなかった事である。諦めてファーストインプレッション通りのポーズで北斎を作り始める事にした。 






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