明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



小学生の頃、漫画やアニメの『巨人の星』が待ち遠しかった口であるが、大リーグボールはまだ一人にしか打たれていないのだから人によって投げ分ければいいじゃないか、と思った。投げ分けることについてのシーンもわずかにはあったが、開発の苦労から初披露で球場が静まりかえり、そこから始まるライバルとの戦いに子供達は熱狂した訳で、新たな戦いこそが面白い。 私は写真を始めて、大まかにいうと三種類の手法をとって来たので冗談で私の大リーグボールなどといっているが、1号は片手に人形、片手にカメラのアナログ撮影で、今ではスマホで誰でもやっているが、90年代の終わり頃、やっている人はいなかった。2号はというと、たいした風景もない都営地下鉄沿線に人形を配さなければならないフリーペーパーの表紙のために、背景を先に撮影し、それに合わせて人物を造形し、背景に合成というもので、創刊2号にして、大リーグボール1号が役に立たないことが判っての苦肉の策であった。そして、ここ数年やっている、陰影のない日本画調の3号である。 私も新たな手法に至ったなら、投げ分けなどせず、それ一本で行くべきだ、と考えるたちであったが、元々が人形制作者の私は“自ら作り出した陰影”である被写体に陰影を与える写真の面白さに抗しがたく、被写体、シチュエーション、つまり対戦相手によっては投げ分けも有りという結論に至った。ところで長々と何でこんな話しになったかというと、作品も人物自体も陰影のある太宰治は、私の大リーグボール3号では効き目がないな、と考えている。対戦するなら1号か2号であろう。

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