5月のゴールデンウィーク明けに予定している個展会場『ふげん社』が移転し、その内覧会に出かける。古い趣きのある会場も良いが新築はまた気持ちが良い。まあいくら観たところで頭には何も浮かばず、展示は一言も発しないままお任せすることになるだろう。 昨日から出品作の解説を書いている。先日、写真作品に説明は不要ではないのか、というフェイスブック上で論議があった。確かに野暮といえばそうだし、必要ないなら、とは思うが、写真は通常外側の既存の世界を撮るものだから、なんとなく想像がつくかもしれないが、私の場合は、頭に浮かんだ、私しか見た事がない風景である。だったら絵画と同じだし、絵ではそんな解説しないだろうという事にもなるが、私の選ぶモチーフがまた厄介である。三島由紀夫を読んだ人なら判るか、というとそれがそうも行かない。三島の作品をただ作品化したというなら話は簡単だが、そうではない。特に、私の作品の中でも、作者にウケる事しか考えていない、という特殊な事情もある。それはともかく。 単純に考えて、三島由紀夫が汚穢屋姿で死んでいたり、王子様の格好でドラゴンに噛み砕かれている所を作った人間が、何の説明もせず、個展会場でただ押し黙って立っているなんてことが、はたして許されるものであろうか。私は許される気が全くしないのだが。
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