昔は胡座をかいていたからと椅子の生活からふたたび座椅子に座布団生活に戻したが、限界である。足腰にくる。毎月通うクリニックでは貧血気味だと初めて言われ、今度癌検診も入れておきます。といわれた。昔とは違うということであろう。後悔しないよう、はじからやり残したことを潰して行かなくてはならない。先日の市ヶ谷の撮影も積年の思いをようやく果たした。私は目標がある訳ではなく目の前にぶら下がったイメージをパン食い競争のパンのように齧りつくだけである。子供の頃、頭に浮かんだことは何処へ行ってしまうのだ、と不思議であったが、次々可視化しないと自分でもあやふやなまま、死んでしまえば何処に行くも何も灰となるだけである。若い頃思った通り、やはり人生も夏休みのバイトの如し、慣れた頃に終わるようである。 数年間放置したままであった三島由紀夫へのオマージュも終わりに近づいて来た。三島に関しては始めた当初からモチーフは男の死以外にない。そして三島が最後に見たであろう光景。窓外に先程まで立っていたバルコニーが見え、その向こうには市ヶ谷ならぬ水平線が見える。後は日輪を輝かせるだけである。椿説男の死の最終カットはこれしかないと思っていた。 私は常日頃、根気もなければすぐにめげるへなちょこだが、それはひとえに、こういうことの為に、執念を温存するための仕組みでそうなっていると解釈している。こんなことは一つあれば充分だし、たくさんである。
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