ふげん社での人形展示は、三島由紀夫、太宰治、松尾芭蕉、葛飾北斎になりそうである。すべて新作となるかどうか。椿説男の死によって、三島由紀夫に関してはやり残したことはない、としたいが、三島にウケることしか考えていないという、私の作品の中でも特殊で、だからの安全策ではないが、ここ数年来の陰影をなくした日本画調の石塚式ピクトリアリズムの中から選んだ作品で2本柱としたい。 場合によっては2メートル超の、燃える金閣寺を前に革ジャンにピストルと刀の三島を展示するのも良いだろう。インパクト充分で、私の感心されるくらいなら呆れられたい願望を満足させてくれるだろう。 私の作品は、ご覧になった方はお判りだろうが、粘土感丸出しで、必要以上には詳細に作り込んではいないのだが、いくら拡大しても印象が変わらず、むしろリアル感が増す。拡大された人物と見つめ合う時の作者の私は、ここまで作った覚えはないのだが、と不思議になる。最初に人形を撮るようになった時、増感された荒い粒子でプリントしていたが、かえってリアルに見えたのは、粒子と粒子の間を想像力が補完するせいだといったのは、その手法を勧めてくれたプリンターの田村政実氏だったろうか。我田引水になるが、もしかすると私の粘土感丸出しのタッチが粗粒子同様、何か作用しているのかもしれない。ディテールを詳細に表現した作品が、拡大したからといってリアル感が増すとは限らないだろう。 とかなんとか、例によって考えてやっているようにぬかしているが、実は行き当たりばったり、何も考えていないので、実物を会場で見た方々が、ああだこうだいっていただきたいものである。
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