明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



以前、永井荷風を撮影する前日、富岡八幡宮の骨董市で、荷風が愛飲した煙草、光の空き箱を見つけてさっそく使った。荷風は居候だろうと畳に平気で焼け焦げを作る。太宰治はゴールデンバットだったらしい。ヤフオクで探して落札した。勿論健康のため、なんて書かれていない昔の物である。 昨日芭蕉記念館の方から頂いた資料に門弟の許六の描いた芭蕉庵の前の芭蕉があった。側頭、後頭部を残しツルッ禿げであった。これである年齢以降の芭蕉は禿げに決定した。相変わらず、芭蕉像に関しては、門弟の描いた物以外は無視である。ということは、深川より芭蕉庵を出て、奥の細道に出発した時点で、すでに毛は無かった、ということであろうか。芭蕉庵まで作るとなれば、どこかで実景を撮影し、庵内の芭蕉を含め、芭蕉庵ごと合成して、当時の光景を再現する、という初の試みも有りではないか。勿論、どこからか古池も引っ張って来て。 前回はカワズ飛び込む、をやるために池に石を何度も放ってはシャッターを切った。やってみて判ったのはチヤでしぶきが上り、ポンで波紋が出来る。それを合成して本来はあり得ないチャポンを創作した。今思うと、やり過ぎであった。芭蕉は“チャポンと飛び込む”といっている訳ではない。ただ私が勝手に、カワズが飛び込むならチャポンだ、と決めてかかったに過ぎない。嵐山光三郎さんは『悪党芭蕉』の中で、蛙はそもそも飛び込まない、芭蕉の創作だ、と書いている。



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