明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



一昨日、背景に考えていた場所が閉鎖中で、撮ることが出来ず、本来こんな場面にするはずだったことを書いた。作りもしてないのに余計なことであったが、そう思うとこの老人、ただ人形だけ見ると、何を観察しているのか、あまりにも前のめり過ぎないか?という気がしてきた。そこでせめて首だけでも少々上向きにしてみた。 いつだったか、北斎は当時としては異常に大きく、180センチあったという。デカくて世界的というと黒澤明を思い出す、とかなんとか書いたことがあったが、北斎の杖をついた自画像を元に作ったこの北斎、キャップを被せてサングラスをかけると、何だか黒澤に似ている気がする。当然頭にあったわけではないのだかが。 最近酒量が極端に減った。人と飲まないことも大きいだろう。引っ越し以前はどんな酒でも面倒くさいからと、何も割らず氷さえ入れず、すべて生のままで飲んでいた。さらに面倒になると佳境に入ったモニターの前でラッパ飲み。おかげでこぼしてキーボードを何十台買い替えたか。殆ど峠の山賊の如しであった。 二日酔いを一度だけしかしたことがない、という体質もあるだろう。引っ越しの時に工芸学校の同級生の作品は持って来た。よってラッパ飲みは廃止。それと電気ポットをいただき、寒いこともあり、お湯で割るようになった。すると以前とは飲酒時の起承転結に変化が起き、穏やかに着地するようになった。体内のアルコール量より、腕の上げ下げの回数で判断しているのではないか? 太宰の背景に使ったタバコ屋の看板婆アに起用した、三十年通った煮込み屋の女将の形見の栓抜きを傍らに置き本日もポットの湯を注いだ。






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