明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



三島が自決の日に選んだのは初の長編書き下ろしである仮面の告白の起筆日11月25日である。私にはあそこにすべて書いてしまっている、とさえ思えてしまうのだが、予期しなかったのはその後の森田必勝との出会いであろう。それにより急激にハンドルを切ることになってしまった。と私は思う。 仮面の告白には、幼い時に読んだ絵本が出てくる。竜に噛み砕かれ苦しみながら死ぬ王子である。ただ幼い三島が気に食わなかったのが、その王子がその度に生き返ることであった、そこでその部分を手で隠して読んだ。誰の書いた物かは知らないが、私は王子の格好をできるだけ三島の供述通りにしてみた。怪獣を作るのは小学生以来であった。三島は後から合成したが、当時住んでいたマンションの屋上で片手に竜、片手にカメラで撮影した。決して住人に見られてはいけない、あられもない、言い訳が許されない姿であった。撮影しながら三島は生まれながらにして、すでに死に魅入られてしまっていたのだな、そして何事かを成さなければおられない宿命だったのだな、撮影しながら思ったのを覚えている。 私と三島の共通点といっては語弊があるが、私も物心ついた時には、すでにこうなっていた。そして頭で考えた行動はろくなことにならず、何故たが自分では解らないがやらずにおられない、ことはそれに従え、という事に早い段階で気付いたことは不幸中の幸いであった。誰が止めたって、やらずにれない人間はやる。衝動というのはそうした物で、ある種の犯罪者にさえ、いくばくかの同情をしてしまうのである。そう思うとたかだか人形作って写真撮って満足していられるのも不幸中の幸いといっていいだろう。







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