明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



家に閉じこもっていてもまったくストレスにならないのは何よりである。そもそも散歩嫌いだし。目的もなく歩く気になれない。キョロキョロするのも嫌いだし、そばでキョロキョロされるの嫌である。蜜のあわれを観る。観たつもりでいたが、単に予告編を見ていたに過ぎなかった。思っていたよりはるかに面白かった。私の場合、山の姫神様や黒蜥蜴などを別にすれば女性は本物を使う。それもただの一般人であるから、顔はそのまま使えない場合が多い。本来なら室生犀星の、蜜のあわれのエロティックな部分に踏み込みたいのは山々であったが。石井岳龍に先に映画化され手掛けるのが大分遅くなった。以前書いたが、最初の個展で売れた作品、アップライトピアノを弾く架空の黒人ミュージシャンだが、届けに中央線の高架下を歩いていたら当時の石井聰が歩いて来てすれ違った。狂い咲きサンダーロードを観て間がないときであった。誕生日も一月違うくらいだったろう。そしてデザイナーの個人事務所に届けたが手が離せないとのことでビデオでも見ていて下さい、といわれ、たくさんの中に三島の憂國があった。何故そこにあったのか。未だに判らない。まさか後に三島を作ることになるとは夢にも思わず、出回っているはずのない、異様に緊迫感のある画面を見つめた。 余談であるが届けたアップライトピアノ、会場で女の子が鍵盤の数を数えていた。いい加減だったから参った。私に取って鍵盤の数などどうでも良かったが、そうじゃない人がいるのだ、と以後肝に命じることとなった。

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