明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



松尾芭蕉乾燥に入る。私は気分が著しく天気に左右される。だからといってコロナじゃなくても散歩にも出かけないけれど。せっかくの晴天、まずは天日で乾燥。以前はネットでも目にしなかった芭蕉像を見ることができる。私は嫌味なくらい門弟3人の描いた肖像画だけを参考にしたが、杉風の初めて見る肖像画も見たが、下膨れの顔に、立派な鼻と耳たぶ。いくらか吊り気味の目。それぞれ画力に差はあるにしても、これはすべてに共通していて、師匠の面影を後世に残そう、という門弟達の想いが伝わって来て、なんだかしみじみとくるものがある。被り物の下は禿ていたのも間違いがない。 歴史的大家を私ごときがくさす機会はないのでいってみるが、何枚いい加減な芭蕉像を描き散らした与謝蕪。蕪村はまだ尊敬して描いているからまだマシだが、全国には県会議員や村長の顔にしているのもありそうである。ホントはどんな顔をしていたんだ?と少しは気にならないものなのか。とはいうものの、私が夏目漱石がワシバナだ、といったところで、加工された鼻の漱石写真が展覧会の度にパンフレットやポスター、図録に使われ続けるのであろう。本人にウソつかれればしようがない。私とデスマスクを見た人だけが、鼻のカタチなんか気にしてるから胃潰瘍なんかになるんだ、と思うのだろう。 北斎の背景に設定していた場所が閉鎖中で、画室で絵を描く北斎を断念した。これだから写真は嫌だよ、とグチの一つも言いたくなるが、芭蕉にしても本日、あるブツと芭蕉の共演というアイデアが浮かんだ。私はこんな時、思い付いた!という顔をするそうだが、ある人に、鍵持ってるなら開けてくれれば私一人が忍び込んで撮ってきたい、といっている。

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