明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



朝から弓張月の撮影。結局、残バラ髪は粘土でなく、人形用の髪にした。顔には歌舞伎調メイク。虚実の配合具合で、イメージが変わる。流血は筆で描かず、スポイトで垂らすことにした。まあ考えて見るとスポイトで赤い色を垂らすからといって、単に血をホントに垂らす、というに過ぎず、ホントでもなんでもない。いやホントのことなどカケラもない。 しかし昔のヨーロッパ人のように南方や東洋に出かけ写真家が撮ってきた写真を飾って喜ぶ、なんてことはできない。何しろ私しか知らない景色を、取り出すことができるのは私しかいない。幼い頃クレヨンで絵描いていて恍惚となったあの時と同じ気分である。それにクレヨン握ったまま寝てしまい、溶けたクレヨンでシーツを汚し、鬼神の如く怒った母は老人ホームで、少なくとも私は安全である。さすがにこれでは三島と言うには無理があるが、このあと、筆で描いた雪を降らせるだけである。これにより私が本来、このモチーフでまっさきにやるべき聖セバスチャンの殉教図を本人にすでにやられていた、という無念をようやく晴らすことができる。何よりである。明日には使い回していた三島の首を、割腹中の胴体に戻し、いよいよ最後のカットとなる愛の処刑に入る。そして太宰の着彩、撮影である。

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