明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



松尾芭蕉は乾燥を防ぐためビニール袋をかけっぱなしで三日目くらいだろうか。最終的な出品作を決めたり、キャプションの文章を書いたりして過ごす。それにしても、外側にレンズを向けず、眉間にレンズを当てる念写が理想だなどと言っていたせいか、写真展を前に、全く外に出ず、家の中だけでまかなえる、というのは何よりである。以前、足腰が立たなくなった時に備え、世の中のパーツを撮り溜めておこう、というのを、これを機に改めて考え直そうと本気で思った。外付けのハートディスクが何台買っても当てにならないのが悩みどころではあるが。逆に言えば、残ったデータで充分こなしてしまっている。三島が搭乗記を残した最後の友人戦闘機と当時いわれた、F104通称三菱鉛筆は、何年か前に浜松の航空隊まで撮りに出かけた。地震の影響で温泉地も閑散としていたのを覚えている。もっとも、実はプラモデルで済まそうと、直前まで考えていた。イメージ通りになるのであればなんだつて良いのだが、操縦席に乗れる、つまり撮影できるというのででかけた。記憶は定かではないが、何かの事情で乗れないとか耳にし、超が付く出不精の私が浜松くんだりまででかけてきて、相手が自衛隊だろうが勝手にやってやる、と憤慨した記憶がある。しかしちゃんと三島が操縦席に座っているから、なんとかなったのであろう。しかし金閣寺は撮れない所から撮影したかつたこともあり、模型で済ませた。高さ20数センチの木製キットだったが3万円くらいしたのを撮影した。さすがに修整しないとアップには耐えられなかったが、今回も出品する予定だが、2メートル超のプリントにしたが,充分耐えている。イメージ通りになるならなんだって良いのである。という訳で明日から芭蕉を再開し、できれば嫁ぎ先の芭蕉記念館の収蔵品から芭蕉直筆の句などを撮影し配したいのだが、それも開けばの話である。







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