明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



愛の処刑は撮影は昨晩済ませたが、用意した背景に収めるのに時間がかかった。その間、気がつかないうちに、4、5回寝ていた。パンフレット用に最後の愛の処刑のデータを送る。ひとまず安心。それにしても三島作とバレないようにわざとだろうが愛の処刑とはジツにダサいタイトルである。 首が出来て、乾燥に入るまでは相変わらず早いが、仕上げが遅くなった。おかけですでに撮影に入っているはずの太宰の着彩に入ってもおらず。明日こそ撮影に入りたい。 私の理想が、外側にレンズを向けず、眉間に当てる念写が理想だから、という訳でもコロナのせいでもないが、写真展をするというのに、外に出ることもなく。ハードディスクが壊れたりしたせいでたいして残っていないが、持っているデータでなんとかなっている。三島が縛り上げられた擬宝珠のある柱は、昔撮ったデータの中に見つけた。余計な反射があり、どこかに撮りに行くはずが、そうだ雪が降っているんだと、これまた以前撮った雪を頭に乗せて済んだ。前にも書いたが、足腰立たなくなった時に備え、空や海や壁から地面とあらゆる物をデータとして撮っておこうと考えたことがあったが、今回案外役に立つものだ、と再認識した。それにカメラを持って出かければ、どうしたって良いショットを、と欲が出るものだが、そういうカットはまず役に立たない。写真として良い、なんて使い物にならず、私が手掛けて初めて良くなるようなデータこそが役に立つ。やっでみると色々わかるものである。名作?など絶対撮らないためのカメラをいずれ用意したい。食べ物に青い着色すると食欲が湧かないそうだが、名作を撮る気にならないように、カメラに色を塗ってやろう。明日こそ太宰に着彩だ。

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