明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



今生きていたら、バイ菌恐怖症の泉鏡花はどうしていただろう。何しろ二階への階段を上中下三枚の雑巾で拭かせた。昔の木造住宅だからたいした長さではない。旅の際には、煮沸しないと食べられないので汽車にコンロを持ち込み怒られる。 弓張月は雪の降り方が気に入らず、朝から繰り返した。さらに白目を赤く充血させ完成。食料を買いに出かけ帰宅後、残バラ髪を引っこ抜き、さらに首も根本から抜き、元々着いていた割腹中の三島に装着し、修整。明日、三島の最後のカット愛の処刑と、太宰の最初のカットが完成するだろう。石塚式ピクトリアリズムは、色はベタ塗り、ライティングの工夫も必要ないので、どういう構成にするかさえ決まっていれば撮影はあっけないほど簡単である。なのだが、その分人形の出来が左右する。ごまかしのライティングはできない。 それにしても図書館で浮世絵や日本画ばかり眺めていた私がこれを見たらどう思うだろうか。感心されるくらいなら呆れられた方がマシ、と日頃思っている私だが、人を呆れさせるにはまず自分が呆れるべきなのか?よくわからないか、だとしたらこの椿説弓張月は、充分目的は果した。





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