明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



椿説弓張月は三島にウケることしか考えていない最たる作品となったが、映画人斬りで撮影所の一年分の血糊を使い、歌舞伎椿説弓張月では、観客席にまで血が飛びそうになり、憂國では、もっと血を!と要求した三島には出血量が不満かもしれない。私もどちらかというともっともっとと過剰な口だが、一度調子に乗って、ありえない大出血をさせてしまい、何も死ぬ時は必ずしも出血する必要はなく、静かに目をつぶっていても、私が死んでいる、といえば死んでいるのだ、とあまり三島に乗せられるべきではないと反省した。 最後のカットとなる愛の処刑は、元々割腹している三島についていた首を弓張月に流用し、元に戻す作業に手間をとってしまった。しかし撮影の順番としてそうするしかなかった。これで三島由紀夫へのオマージュ椿説男の死の撮影はフィニッシュとなった。 確か父が亡くなった同じ年の同じ月だったろう。参考資料に入手した芸術新潮のバッグナンバーで、三島が篠山紀信に自分の好みの男達に扮し、死んでいるところを死の一週間前まで撮らせていたことを知った。まさに最後にやっておきたかったことだったと知り、本人にすでにやられてしまっていた、というショックと同時にビンゴ!だろう?私は解っていたぜ。という気持ちに胸お踊った。以来、三島文学の良い読者という訳でもなく、ただこの一点についてだけは、私だけが解っているのだ、という気持ちで制作してきた。それもようやく終わった。次にどこへ向かうかは知らないが、そのためには終わらせなくてはいけないことがある。私はここ数年で学んた。あと百年も生きるような顔をしていてはならない。

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