明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



松尾芭蕉は夏頃には芭蕉庵も作って芭蕉記念館に収まり、来たる芭蕉サミットで全国から集まる各地の芭蕉関係者を待ち受けることになっている。しかしこの芭蕉、私の作品の平均より大きく、庵まで作ると大型犬の小屋並みのサイズになるだろう。もちろん、記念館のスペースを考え、また中学の技術家庭科2の私である。昔やっていたジャズシリーズも楽器を作るのが苦痛で止めたのが半分理由でもあった。楽器褒められても、嬉しくもなんともない。そんな諸事情を鑑み、芭蕉庵はカットモデルではないが、コンパクトにしようと考えている。写らない所は冷酷なほど数ミリ単位で作らない私である。 何か天変地異でもあって記念館が消し去らない限りは、いやもはや、何があってもおかしくないと思わされている最中だが、少なくとも私が死んだ後でも当分は、芭蕉の門弟が描いた肖像だけを参考に作りました、という顔して2体の芭蕉像はいてくれるだろう。 ところで高校時代の友人に精神科の医師がいる。担当患者の自殺率の低さを誇っている男だが、高校時代からギターを作ると口ばかりの私に、俺が先に作ると、たいした工具もなく作った。出来たとうちに見せに来たとき、たまたまいた友人が患者が作ったのではないか?と疑った程の異形な、しかし彼にとっては合理的なWネックのギターであった。その最大の特徴は形代カタシロつまり人形がボディに封じ込められていることであった。壊さない限り見ることはできない。私だったら、出てきたら呆れるか、笑わせる物を入れるのだが、と思ったのをどういう訳だか急に思い出した。


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