明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



ふげん社からDMが届いた。CDジャケットのようなサイズでほぼ真四角。5月7日〜という微妙な時期である。文学館などに送っても持っていく人がいなければ仕方がないのか。今後状況によって何があるか判らないが、せっかくいただいた機会なので私はただ制作を続けるだけである。 それにしても良く寝た。これはどういう気分かというと、長年溜めていた借金をようやく払い終わった。という感じではないか?椿説男の死が完結する時が来るとは思わなかった。といっても時間ばかりかかって、たった20数カットであるが。 クリニックに定期検診へ。ドアは開け放っていた。いつ死んでもおかしくないといわれていたのに引っ越し後の自炊再開が良かったのだろう。数値が物凄く下がって褒められっぱなしである。背より高い冷蔵庫がものを言った。食事は大事だというのは本当だった。昔、ビタミン剤を飲んだらポパイのほうれん草の如く、ハッキリ効いた。ろくな食生活ではなかったので効き目がハッキリ判った。出来るだけ働かず好きなことを、となると、どうしてもそうなる。 それはともかく、ひと仕事終えて力が入らず、あれ程太宰に色を塗ると言っていたのに、何をする気にもなれず、私にしては珍しい。このブログをアップしたあとに、やれるところまでやり、明日は撮影したい。太宰には私に苦労かけた分は返して貰わないとならない。スカしてただ突っ立っていようなんて許せない。実をいえば、そのスカしようは、完全に許した訳ではないのである。昭和三十年代の葛飾区は、スカしてるかスカしていないかは肝心なことなのであった。

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