明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



パンフレットには全作品ではないが、その三島作品の抜き書きを載せた。これは一体なんですか?という空気はお馴染みではある。さらに作品のキャプションにはほんの短く創作ノート的な物を書いている。三島由紀夫没後50年ということで映画も公開され、展覧会もあった。いずれもコロナのせいで行きそこねたが。しかし私のアプローチは特殊だろう。扱っているのが三島のある一面のみであり、三島作品を作品化したとはいえない。 三島が死の一週間前まで篠山紀信に様々な死に方を撮らせて死の直後に出版予定であったが、私が三島で何をやろう、と思った時、様々な状態で死んでいる所であった。私の場合は三島作品に絡めてという少々趣旨が違うが、それを知った時は、私だけが三島について解っているある面がある。私はこれを制作することの権利を得たような気分になった。私のような渡世の人間は思い込みで生きていところがある。私はあるガセネタを掴まされて、孫娘が高校を卒業したら男の死は出版されると聞いていた。出どころを聞けば、間違いない情報だと思うだろう。私はハラハラして数年間過ごした。趣旨は違うとはいえ、本人が魚屋に扮したり、ヤクザや兵隊になって死んでいる写真集が出てしまったら、私のやっていることはかなりのつや消しどころかバッタ物の滑稽さが漂ったろう。であるから隔月で4年続いたフリーペーパーの廃刊が決まったと同時に関の孫六の模造刀を入手し振り回していた。そしてこの人見知りが、伝説的な編集者であり、企画者の薔薇十字社の元社主内藤三津子さんと新宿中村屋で街合わせお話しを聞き、男の死というタイトル使用の許可を得、前回は会場で、三島さんきっとここに来ているわよ、とおっしゃっていただいた。ご高齢でもあり、実はまだDMを出せないでいる。

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