明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



出品作を決める。三島由紀夫が20点、その他が13点となった。予定では2メートル超の燃える金閣寺を背景にピストルと白さやの日本刀で革ジャンの三島。 何十倍にも拡大すると、それほど細密に作っているわけでもないのに、するほどリアルになるのがよく判らない。サンディエゴ写真美術館のクラチコさんに大きく伸ばすべきだ、といわれたのはこういうことなのか?正確には分からないが、写真は50センチ程の作品を拡大するツールとしても有効である。親が無くとも、ではないが、私はここまで作ったつもりはなかったが?といつも奇妙な気分になる。乱歩と宮沢賢治はリコーでも展示したが、三島は16年以来ロールに巻かれたまま見ていない。家の中で広げる気にはなれない。だいたい、私が新聞を読むとめちゃくちゃになってしまうのは近所の居酒屋では知られていた。危うきには近寄らずである。土管のようなロールのまま搬入するしかない。そして例によって、展示は画廊側にお任せする。ほとんど設営はやったことがない。こっちとこっち、どうしますか?と聞かれれば答えられるが、まったくノーアイディアで、学生の頃から見せ方について考えろといわれていたのだが。展示できるものをすべて展示した、16年の深川江戸資料館の個展でも、一言も発せず終わった。苦手なことに手を出すものではない。 三島以外のプリントは、葛飾北斎と三遊亭圓朝が2.太宰治、エドガー・アラン・ポー、室生犀星、泉鏡花、松尾芭蕉、その他ゲンセンカン主人、月に虎図、円谷な女となる。

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