明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

元旦  



昨晩は、恒例の大晦日のブログは早朝アップしたし、久し振りに購入したテレビで格闘技戦を見ながら、どうということもなく寝てしまった。朝、金魚水槽の紅白の舞い踊りを眺めながら鍋。勿論真っ先に金魚に餌はやったが、まだ足りないとばかりにこっちを見ている。金魚は目が良くないと聞くし、まさか私が食事していることが解っているとは思えないが気になる。砂町銀座で買っておいたハゼの甘露煮。昔は秋に釣った大きめの物を正月用に干しておいたものだが数十年ぶり。 私が暮れの大掃除を正月に持ち越さなかったことはない。未だに転がったままの芭蕉庵用材料を片付ける。寒山拾得の屋敷、寺院内の背景を、逆遠近法で作ろうと考えている。何度か画像処理で試したが、成分が写真だと、写真であるという先入観で、余程歪んでいないと、かつての東洋的遠近感である効果が感じられない。そこで背景を予め逆遠近で作って、それを撮影したらどうだろう、と思い付いただけで、思ったような効果が出るかは全く判らない。芭蕉あん制作は、工作ベタの私に用意された練習課題といっては芭蕉に悪いけれど。 ところでなんで寒山拾得をモチーフにしようと思ったのか、暮れから本気に思い出せない。ブログのカテゴリーで見てみると、16年の夏に突然、前から考えていたかのように始まっている。おそらく私のことだから、きっかけ、動機などくどくどしく書いているはずだが今のところ見つからない。知らないうちにチップを埋め込まれてその気になったかのようだが、まさかボケのせいだ、なんてことにはならないだろうが。 三島由紀夫だ、室生犀星だ、などといっているウチはそれぞれの作家に興味があればともかく、ついに土俵を割って寒山拾得に至った。「Don't think! Feel考えるな!感じろ」で来たらこうなった。今年もよろしくお願いします。



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蝦蟇仙人が連れている蝦蟇蛙は後ろ脚が一本の三本脚の蛙だが、片脚が欠損ということではなく、真ん中に一本生えている。それを顔輝作、またそれに影響を受けたであろう、幾多の絵師同様、その脚を鷲掴みし、頭の上か肩口に乗せているつもりでいたが、いざ頭の上に乗せてみると、我が仙人は、カエル顔にしたことと、予定より大きく作ってしまったせいもあり、犬くらいの大きさの蛙が勝手に頭に乗っていた方が面白そうである。予定は日々変わっていく。そもそもなんで蛙を作っているのか?という話であるから、これで良いのである。作ってみると案外面白く、本物の蝦蟇蛙に触れずに済みそうである。



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