相変わらずうどん食いが収まらず。ザルうどん専門だが。砂町銀座で買う塩らっきょう。紙パックではあるが、ブラックコーヒー。いずれも子供の頃嫌いだった物ばかり。わざわざ選んだかのようだが、何物かを取り戻そうとしているかの如き様相だが、偶然ではないだろう。創作に関しても数十年ぶりに最初の架空の人物制作に戻ろうとしている。様々な物が大きく一回転しつつある。
麻布十番から元厚木に移転した田村写真だが、田村さんのフェイスブックに、HPのプリンター設置と書かれていた。石塚式ピクトリアリズムは、三遊亭圓朝の第一作から、阿波の手漉き和紙のプリント紙を使っているが、その色調はHPのプリンターでないと出ないと田村さんから聞いていたので、これで安泰と安心する。 写真を始めてから30有余年。ここをもう少しこうして、などとお願いしたのは、ほんの数える程度しか覚えがない。田村さんがまだラボに勤めている頃知り合い、その暗室作業を見て、すべて私がやった、といいたがりであるはずの私がプリントを止めた。お陰でド素人が独学で行ったオイルプリント制作を除けば写真の勉強を一切せず、作画のみに集中することが出来た。石塚式ピクトリアリズムは、様々な”常識“から我が身を守った成果であることは間違いない。こんな時代、制作を続けながら外界の情報常識から身を守るには意識的にしない限り不可能である。人間のハードディスクの容量には限りがあることは、ある程度歳を経れば誰でも気付くことである。その頃にはクソみたいな知識と経験でハードディスクは溢れんばかりであろう。そして最後には今さら何の役にも立たない昔の思い出だけが取り残されることになるだろう。まっぴら御免である。30年以上住んだ所から引っ越し、産まれた当初、毎日のように記録された私の写真アルバムさえ捨てる程、(正確にいうと忘れて来た)断舎利を断行したが、これもまた偶然ではなかった、と一年経ち水槽の金魚に餌をやりながら。