昨日“表層の脳の出来の悪さ、使い物にならなさ、あてにならなさ加減に小学校の低学年ですでに気付いていたことだけは自分を褒めてやりたい。”と書いたが、自慢気に言うことではなかった。 寒山拾得を作るにあたり、とりあえず金魚を眺めて暮らそう。というのは、その出来の悪い頭を如何に使わずにいるか、ということであって、どうやら功を奏しているようである。今の段階では、棚から降ってくるボタモチを口を開けて待っているしか策はなかった。ボタモチは突然予告もなしに降ってくる。そういう時私は、昔の漫画のように、電球が点滅するような顔をするらしい。 正月二日から作っていた頼まれ物、何とか今月内に完成しそうである。これでようやく来月より豊干禅師の頭部の制作を始められるだろう。 月に一度のクリニック。若干血糖値上がる。ここのところ一日一度は食べているうどんのせいだろう。年取ってはまると良いことはない。天ぷらも良くないのだろう。これからはうどんは小サイズにする。肝、腎は全く問題なし。二十代の終わり頃、一度しか二日酔いをしたことがないのだから当然である。よってクリニックではたしなむ程度、という演技プランで。