明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



久しぶりにテレビがウチに来たが、出演者がみんな老けていて驚く。先日は、若いはずの女優が、これは特殊メイクで、後年の姿を演じているのだろう、と本気で思った。これはのんびりテレビを眺めている場合ではない。 “人生は夏休みのアルバイトの如し、慣れた頃に夏休みは終わる”常々そう考えているが、バイトで得た物を余らせて死ぬほど悔しいことはない。貯金を使い果たさずして何のためのアルバイトなのか。そんな話をすると、一般人は、残す子供がいようといまいと、金を余らせて死ぬものだそうである。せっかく得た物は使い切らないとつまらないではないか、と私は思う。 作家シリーズを長く続けるうち、知らない間に得た物、貯まった物がある。だがしかし、それは作家シリーズでは充分使い切れない。おそらく、そんなことに私は何処かで気が付いていたのではないか。そしてたまたま、三島由紀夫を手掛け。それはそれまでの作家達とはアプローチが異なり、三島本人が実際やってもいないことを創作することになったが、単純な話、これで主人公が実在していなければ、やりたい放題である。なるほど、なるべくしてこうなった、ということであろう。ただなんで寒山拾得なのか、そのきっかけが未だに思い出せないでいる。



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