明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



判っていたこととはいえ、ようやく我に返ったかのように、次第に気になって来たのは、寒山拾得が唐の時代って何だよ、ということである。最初に架空の黒人ミュージシャンを作り始めた頃。始めてスーツを着て、以降、背広を来た人物が登場した。眼鏡を掛けた人物も、始めて眼鏡を掛けるまでは作ったことがなかった。その後、突然日本人の作家シリーズに転向した。さすがに身近な日本人に関しては、どんな物かは頭に入っていたが、それでも泉鏡花を作る前に、着物を買ってしばらく着て過ごした。私は着物を着たことがある。という既成事実を得て、自信を着けようということであったろう。 それがここへ来て中国はともかく、よりによって唐の時代である。数ある寒山拾得図、特に豊干禅師に関しては、これはどう見ても日本の僧侶だろ、という作品も散見する。虎に乗っているような僧侶がこうであってはならないだろう。まだ肝腎の頭部すら作り始めていないのに、今から心配していても始まらないが、しかし作り始めたら余計なことで立ち止まりたくない。今のうちに下地を作っておくべきであろう。今回はさすがに妙な格好で家でウロチョロする予定はないけれど。



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