明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

禅画  


禅画とは禅僧が描いた物をいうそうである。そんなことも知らずに寒山拾得もないもんである。もっとも白隠や仙崖など、私の趣味ではない。ざっと描かれた略画的な作品は幼い頃から苦手である。描き込まれていればいる程良く、挿絵が気に食わず手に取らなかったことが何度もあった。とにかく子供向けが嫌なのである。見える物に大人も子供もない。それはともかく。 あの描法こそが禅的なのだろうけれど、性に合わない物は合わない。もっとも私は禅画をどうしようという気はなく、そもそも写真だし。 禅とはなんぞや、ということに関しては、肝腎なことではあろうが、私が寒山拾得を手掛けるに当たり、必要なことは学ぶことになろうし、必要でないことは必要ではなく、それは私が決めることである。なぜなら誰に依頼された訳ではないので問題は何もないのである。 たださすがに歴史あるモチーフである。知ってしまって、やりずらくなることもあるだろう。そのためには、座禅など、せずにいられなくなる前にやり遂げたい。 ほとんど頼まれもしないことばかりで約四十年。これがまさかの勝手に自主的にやっていることを知らなければ、ハタから見たら結構修行風に見えたかもしれない。好きなことばかりで修行とはいわないだろうけれど。



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