明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 





掛け軸は梁からぶら下げると長過ぎて掛けにくかったが、塩ビパイプに巻き付け、短くすることが出来たので『虎と豊干図』をかけているが、隣に『虎渓三笑図』を並べてみようと考えている。禅画のモチーフは面白い。 高僧惠遠は、盧山で三十年間山から下りないと誓い、修行をしていた。客人を送る時も俗界との境界である虎渓という谷を越えることはなかった。ある日、友人陶淵明と陸修静が訪れ、見送る際に話に熱中し、つい虎渓の石橋を渡ってしまった。それに気付いて三人で大笑いしている図である。実にたわいがない。禅画のモチーフは、禅僧、また絵師の作品にしても簡素化されていることが多い。私がもし手掛けるなら、あえて無駄にリアルにしてみたい気がする。 私のモットーの一つに“及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ”というのがある。2000年、HPを始めるにあたり、身辺雑記のタイトルを危なくそれにするところであった。今考えると、“明日出来ること今日はせず”。似たり寄ったり、どっちがどうというほどのことはなかったけれど。



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禅僧が描いたという悪戯描きのような禅画は、そこがいかにも禅的ではあるし、禅僧が描くのだからホンモノではあろうが、やはりアマチュア画であり、へのへのもへ字みたいな寒山拾得は全く趣味に合わない。 平成六年、栃木県立博物館で行われた『寒山拾得 描かれた風紀狂の祖師たち』の図録は、寒山拾得に関しては決定版と思われ、引っ越しの際忘れて来たので昨年買い直した。久しぶりに眺めてみたら。図録の内容がまるで変わったかのように、良いと思う作品が少なくてびっくりしてしまった。“自分が変われば世界も変わる”。その実にコンパクトな感じを味わう。自分の外の世界にアプローチすることなく、こんなことが可能なのが、この渡世の良いところである。



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