明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



 
子供の頃、漫画雑誌の特集その他でネス湖の恐竜の写真を良く目にしたが、私は何処が恐竜なんだと思っていた。それはかま首をもたげた恐竜の波紋からしてアヒル程度の大きさにしか見えなかった。実際あれは我々が捏造した、という老人が名乗りでたのではなかったか。 特撮監督の円谷英二にしても火と水には苦労したはずで、サイズ感を自然に見せるには、アナログである限り、できるだけ大きな模型を使うしか策はなかったろう。 陰影を出さない石塚ピクトリアリズムは被写体が人形と、例えば実物の行灯などスケールが違う物を配するため、デジタルによる合成が必須である。私としては、昔のピクトリアリストに対して、今だからこそ可能であるという意味で、ざまあみろ、という想いを抑えることが出来ない。 ところが問題となるのは、相変わらず火と水である。火は今のところ筆描きした物を使用して何とかこなしてみたが、問題は水である。陰影がない、ということは、同時に光の輝きや艶、反射も無いということになるだろう。輝き、反射なくしてどうやって水を描けば良いだろう。火の場合は蠟燭の火、鬼火、せいぜい焚き火だが、水の場合は海はともかく小川、滝など。これまた筆描きになるのだろうか。以外の方法はないだろうか。なんて書いていて一つ浮かんだが。 それにしても一人で何ブツブツいっている?この孤独感こそ私の大好物。


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